イチロー 打撃フォームの歴史!! バッティングの凄さ!! 構えの変化や特徴!!




やっぱりかっこいいわ笑!!

今回はメジャーで伝説を打ち立てた、

イチロー選手の打撃フォームの変化の特集です。

数々の伝説を打ち立ててきたイチロー選手を語る上で、

最も注目すべきポイントでしょ!!

毎年のように変化し続けた打撃フォーム。

皆さんも真似したでしょ??僕もしましたもん^^笑。

オリックス時代からメジャーに渡ってからも、

どのような変化していったのか、

皆さんと一緒に振り返っていきましょう^^!!

もうね、どの年もかっこいい!!かっこよすぎ笑。

今回はイチロー選手を伝説にした打撃フォームの変化をPICKUP

イチロー選手のWiki的プロフィール

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名前 イチロー (本名 鈴木 一郎)Ichiro Suzuki

出身地 愛知県豊川市

生年月日 1973年10月23日 (45歳)

身長 180cm

体重 72kg

ポジション 外野手

オリックス時代のバッティングフォーム

https://goo.gl/images/tHTMs7

オリックスブルーウェーブにドラフト4位で入団したイチロー選手。

現在、伝説となったイチロー選手ですが、数々の大記録を作った打撃技術は世界一と言っても過言ではないでしょう。

その輝かしい実績を支えたバッティングを入団当初から振り返って行きましょう。

プロ入りした頃はオーソドックスな構え。

打席でリズミカルに動いたりはせず、静止しての構気味の打撃スタイルでした。

高卒一年目から二軍で持ち味の打撃は存在感を発揮。

https://goo.gl/images/X8w2pJ

フレッシュオールスターでホームランを放ち、MVPを獲得する大器の片鱗の活躍。

https://goo.gl/images/U4Nmeo

打った後のフォロースルーは高校時代から変わってないので、大きく打撃が違うわけではない

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二軍でしっかり結果を残していたイチロー選手は、一軍に昇格。

https://goo.gl/images/Xnp7gK

プロ初ホームランを当時近鉄にいた野茂英雄氏から放っているだけに、当時から光存在ではありました。

ただオリックス二軍時代は当時の土井監督がイチロー選手のスタイルを嫌い、打撃フォーム変更を指示していました。

その指示がイチロー選手は足が速いのだから、脚力を活かしすためにバットを短くもって、ゴロを打つような打撃に変えろ!!という指示。

当然、イチロー選手はそれを聞き入れず、二軍暮らし。

当時二軍の試合でまだ活躍していない頃のイチロー選手をみた野村克也氏が、

https://goo.gl/images/EqVSuJ

なんでこんな選手が二軍にいるのだ!?と思ってそうで、

当時の土井監督になんで一軍で使わないんだ??と尋ねたところ、

いうこと聞かないから。という返答だったそうで。野村氏は当時のことを、偏った偏見により、いい選手が潰れていくという印象を持ったと語っている。

プロ入り2年間はイチロー選手は二軍暮らしでした。

イチロー選手自身は、プロ2年間は準備期間と考えていたそうで、3年目くらいから一軍でプレーするための土台作りとプロ入り前から考えていたそうですね。

そしてプロ2年目のオフに、土井監督に変わり、仰木彬氏が監督に就任。

https://goo.gl/images/sQbGJt

これが転機となり、のちにイチローと登録名を変えて翌年、大ブレイクすることになる。

仰木監督がいなければ、現在のイチロー選手は存在していないかもと言われていますよね。

イチロー選手に限らず、才能豊かな選手が指導者により大成できないことは多いのだろう。

当然、指導者全てが悪いわけではないが、

巡り合わせというものも大切な要素であるように感じますね。

1994年〜1995年 振り子打法でブレイク

1994年、仰木監督に見出され、一軍の抜擢されたイチロー選手は登録名を鈴木一郎からイチローへ変更し一気にブレイクを果す。

独特の打撃スタイルで、ヒットを量産。

94年は打率.385 210安打を放つなど、驚異的な成績を残し、一躍イチローフィーバーを巻き起こす大活躍であった。

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イチロー選手の独特のバッティングに注目が集まった。

94年の打撃フォーム。

https://goo.gl/images/zNU9Ds

打席の中で動き続ける独特スタイル、足を大きくあげる仕草で振り子打法と称された。

振り子打法の由来は記者が書いた表現が始まり。

その独特な足の動き、軸足にクロスするほど大きくあげる動作が振り子のようだととある記者が記事を書いたことから振り子打法という名前がついたとされている。

しかし、イチロー選手自身は振り子打法という呼び名は好意的に捉えていない。

言い方はあれだが、メディアで報道したことにより、定着し今に至るということ。

この記事ではイチロー選手自身が振り子打法と呼び名自体を好んでないとのことですので、振り子打法という表現は最小限に説明のところだけとします。

イチロー選手の独特な打撃スタイルは打撃のセオリーを覆すものでした。

これまで一般的に打撃はボールを自分が打てるポイントまで、いかに呼び込んで打つかが大事とされてきました。

しかし、イチロー選手はそのセオリーとされた打撃の真逆のスタイルで、ボールが来ないなら自分がポイントを寄せ打ちに行くというセオリーに反する打撃スタイル。

注目すべきは打撃の際のバッターボックスを内をめいいっぱい使い、イチロー選手は足を上げた右足をベースから大きくはみ出るくらい踏み込んでいく。

https://goo.gl/images/zNU9Ds

踏み込むにも関わらず、インコースを苦にしない。

さらにイチロー選手がすごいのは打撃の一般的には打てるポイントに引きつけるのではなく、打つポイントをあらゆる状況によって変えることができる異次元の打撃。

そして打ち終わってすぐ走塁ができる体制に入れる独特スタイルでヒットを量産。

独自の打撃スタイルでイチロー旋風を巻きこそすほどの衝撃の打撃技術だった。

https://goo.gl/images/ngSaNA

イチロー選手の打撃スタイルは一見走り撃ちのように見えるが、動きは多きものの、

頭が前に突っ込むことはなく、前体重だがステイバックをキープしながら、ボールを捉えることができる。

それに崩されても手が残っているため、崩されても対応できる技術を兼ね備えている。

身体は前に移動しても、手が最後まで残るために、身体と違う方向に手の軌道を変えることができる異次元の技術である。

イチロー選手のような打者は今まで存在していない唯一無二。

https://goo.gl/images/qfkD5d

その打撃の技術は異次元の感覚、とてつもないインパクトを与えていた。

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当時イチロー選手が打席の際に、当時日本ハムで活躍していた片岡篤史氏がファーストを守っていた際に、イチロー選手の打席の動きに興味深いことを話している。

https://goo.gl/images/xTZNGC

イチロー選手の独特の振り子打法は打席の中で大きく動きをするが、ファーストを守っていた片岡氏には、

イチロー選手の動き、打つ瞬間のステイバックの姿がバッターボックスから一塁の間の真ん中付近まで、動いていきているように錯覚を覚え、不思議な感覚を覚えたという。

大きく動いているのに頭の位置は動かず、その場で駒のように鋭くボディースピン。

捉えたボールは軽々スタンドを超えていくのを見て、驚愕したと語っている人は多い。

そんなことができる打者はイチロー選手のみであろう。それを若くして習得していたのがすごい。子供の頃からのイメージを具現化した結果の形だ。

特に95年のイチロー選手は、その独特の打法から放たれる打球は驚異的だったと意見も多い。

1995年の打撃フォーム

大きな足の動きに目がいくがイチロー選手は特に95年は上半身をうまく使く、下半身との連動性の高いしなやかな動き、うねるような上半身の使い方だった。

バットを手に持っているがが、肩甲骨をうまく使い、上半身で一番筋力がある背中をうまく使い、腕と連動させムチのようにしなるようにバットを扱うことができていた。


練習でも試合でもセンターバックスクリーンにホームランを連発するイチロー選手に、
同じ選手達すらも度肝を抜いていた。

イチロー選手が打った打球は高く舞い上がりセカンドフライかと思ったら、そのままスタンドへ消えて言ったとエピソードもあり、

その打球を見た、阪神タイガースで活躍した岡田彰布やホームラン歴代3位の門田博光氏はこぞって、日本最高のホームランバッターになれるのはイチロー選手という認識を持っていたいう。

それだけ異次元な打撃を見せていたイチロー選手。

しかし、そのしなやかな上半身の使い方は95年以降は消えている。

体全体を使い、しなやかな動きの中から身体に巻きつくようなスイングは本当に華麗であった。

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1996年〜97年 オープンスタンス

96年シーズンから94年から95年の2年間ではスクエアに構えていたのを構えを、

身体を正面に向けるオープンスタンスに。

構えたバットの位置は96年は肩の位置に、97年は肩より少し高い位置に構えていた。

そして打席では右左にリズミカルな動きでタイミングを取る新たなスタイル。打ちに行くときの足を上げる動きはそれまでと変更はなかったが、新たな試みだったのだろう。

打撃フォームが変わっても96年は打率.343、97年が打率.357とそれまでと変わらず、好成績を叩き出すのはさすがというしかない。

https://goo.gl/images/Jo9jwt

構えは変わっているが、ボールへのアプローチは変わったわけではなく、当時はボールの見方やリズム感の微調整があったのだろう。

98年打撃フォーム

1998年シーズンは過去2年間オープンだった構えをスクエアに、

バットを顔の横付近に高く構えるスタイルに。

98年は憧れでもあるケン・グリフィーJRを意識した構えの時期もあったが、後半になるとグリッップの位置を高く構えていた。

https://goo.gl/images/8WaAKX

98年シーズンが一番足の上げ幅が大きかった印象。なお98年は打率.357をマーク。

この年からバッティンググラブをそれまでの白から黒に変更。

そして今ではお馴染みとなったイチロールーティンの完成。

ネクストバッターズサークルからの打席入る前の屈伸、バットを立てて構えるまでの独特な動き、ルーティンが完成した年である。

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99年打撃フォーム

99年はそれまで以上に打撃力をみせ、凄みを増していた。

死球により怪我で離脱しなければ、自己最高の成績を記録したのではないかと言われているくらい。毎年すごいが、特にホームランも打っていただけに、怪我がなければ30本以上は打っていただろう。

2000年打撃フォーム

メジャーリーグに挑戦に備え、打撃をメジャー仕様に。

99年まで6年連続首位打者を獲得していたイチロー選手。

00年は非常にオーソドックスな構え。

2000年シーズンはメジャーリーグ挑戦に備え、それまで大きく足を上げる動作を省き、すり足に近い動きに変更。

大きく足を上げる動きを省いたのは、メジャーの早いボールを意識しての取り組みだったとされている。
この年くらいからキャッチャーにメジャーのストライクの確認を打席の中でしていた。

そしてシーズン途中から、それまで内股に絞っていた左足を若干外、キャッチャー側に向けるなど細かく打撃フォームを見直し続けたシーズン。

2000年イチロー選手は打撃フォームを変えたことが影響したのかはわからないが、これまでになく打ちまくり。

怪我で離脱するも、自己最高打率.387という高打率をマーク。

日本ではこれまでも手がつけられなかったが、2000年は特に完全に無双状態であった。

そしてメジャーリーグの舞台へ。

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