イチロー

イチロー伝説!! 衝撃のメジャーデビュー!! 2001年の成績や記録の評価!!

 

 

今回はイチロー選手、衝撃の2001年メジャー1年目をPICKUP

 

今や伝説となったイチロー選手を語る上で欠かせない2001年。

 

衝撃デビューとなったメジャー1年目。

 

圧倒的な存在をみせ、

 

メジャーリーグにイチロー旋風を巻き起こし、

 

日本最高の選手を実力を証明。

 

タイトルを総ナメした衝撃のメジャー1年目。

 

もー、異次元ですよ笑。

 

いやー、やっぱりすごいというしかないですもんね笑。

 

当時テレビ画面に釘付けでしたもん笑。

 

みなさんと一緒に伝説の始まりを振り返って行きましょう!!

 

訪問して頂き、ありがとうございます!!

 

最後までお付き合いして頂けると幸いです。

 

衝撃のデビュー、圧巻です!!

 

イチロー選手のWiki的プロフィール

 

https://images.app.goo.gl/82fK4ozyXymaHEMY7

名前 イチロー (本名 鈴木 一郎)Ichiro Suzuki

出身地 愛知県春日井郡豊山町

生年月日 1973年10月23日 (45歳)

身長 180cm

体重 72kg

ポジション 外野手

イチロー伝説!! 衝撃のメジャーデビュー!! 2001年の成績や記録の評価!!

 

 

 

1991年に愛工大名電からドラフト4位でオリックス入団。

 

1994年に登録名を鈴木一郎からイチローに変更し、大ブレイク。

 

1994年シーズン日本プロ野球史上初の200安打を達成。

 

当時130試合制の中での達成。驚異的にヒットを量産。

 

 

一躍スーパースターとなったイチロー選手。

 

日本プロ野球のアイコン的存在へ。

 

 

その後圧倒的な存在感を見せ、華麗で美しいで我々を魅了。

 

 

1994年から2000年まで前人未到の7年連続首位打者を獲得。

 

 

突出すべきは全てのシーズンで打率340台以上のハイアブレージでの首位打者。

 

オリックス時代は無双と化し、異次元の存在となってイチロー選手は、

 

2000年オフ、ポスティングシステムを利用し、メジャー挑戦を表明。

 

夢メジャーリーグ挑戦が現実へ。

 

イチロー選手はメジャーへの憧れを抱いたのは96年を日米野球。メジャーのスーパースターと共にプレーし、彼らが魅せる華麗で豪快なプレーにアメリカの野球に魅力を感じ、

 

メジャーへの想い抱き始めたことがきっかけ。

 

当時の日米野球はメジャーのトップレベルの選手が来日。メジャーのスーパースター、バリー・ボンズやマイク・ピアザ、いばん・ロドリゲスといった錚々たるメンツ。

 

そんな彼らはイチロー選手のプレーを絶賛。日米野球に参加したメジャーリーガたちはイチロー選手のプレーを見て、すごい選手がいるということでメジャーリーガーもイチロー選手に釘付け。

当時はまだ日本人野手がプレーしておらず、きっはリップサービスであっただろうが、メジャー選手はこぞってイチロー選手を高く評価。早くメジャーに来て欲しいと語っていたエピソードある。

そして96年のオフにはイチロー選手は球団に、将来的なメジャー挑戦の意向を伝えてることとなる。

 

イチロー選手はメジャー挑戦に着々と準備を始める。

 

練習のではメジャーのボールでキャッチボール、打席の中で日本人のキャッチャーにメジャーのストライクゾーンを確認したりと常にメジャーを意識。

 

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1999年の2月にはマリナーズの春季キャンプに参加。

 

http://https://goo.gl/images/M23bVk

 

メジャーの環境を肌で感じ、キャンプでは食当たりに合うなどで試合にも欠場するなど、思うようにはいかなったが、

メジャーのキャンプに参加してイチロー選手は、何が足りなのかは確認できたと語っていることから、

やはりメジャーでやるための準備を徹底して行なっていたのだろう。

 

メジャーに向けて、前年の2000年から打撃フォームを改良。

 

 

この写真は1999年のキャンプに参加した際であるが、メジャーのスピードボールに対応するため、

いわゆる振り子打法の特徴である足の動作を省き、すり足に近い感じにして2000年シーズンに臨む。

 

さらにシーズン中に今までの軸足の立ち方を変え、それまで内向きにしていた左ひざをキャッチャー側にし、打撃フォームをメジャーリーグに臨ために微調整を続けていた。

 

そして初動負荷トレーニングも実施し柔軟な筋肉を手に入れたことにより、

 

2000年シーズンはそれまで以上にパフォーマンスが向上。

 

 

 

シーズン中に何度も4割第に乗せるなど、ヒットを打ちまくり、8月に脇腹痛腕で離脱するも,

 

打率387驚異的な成績を残し、前人未到の7年連続首位打者を獲得。

 

2000年オフに目標にしていたメジャー挑戦の意向を発表。

 

FAではなくポスティングシステムを利用し、メジャー挑戦。

 

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そしてシアトル・マリナーズが約14億円で交渉権を落札。交渉の末、正式契約。

 

憧れを抱いてから4年後、27歳で夢のメジャーリーガーとなる。

 

 

当時は入団したマリナーズは主力の遺跡が相次いでおり、98年シーズン途中にはメジャーを代表するサウスポー、ランディ・ジョンソン、

99年オフには、当時のメジャーのスーパースターとして君臨していたケン・グリフィーJR、

そして00年オフに、若干21歳で首位打者を獲得し、スーパースターの階段を駆け上がり中であったアレックス・ロドリゲスが相次いで退団。

 

このメンツは本当にすごいメンツ、3人ともメジャーの歴史に名を残すレベルのスター選手。

 

今でいうと、マイク・トラウトやブライス・ハーパー、そしてクリス・ブライアントのようなスーパースターたちがマリナーズにはいたんですよね。今考えるとすごい。

 

 

イチロー選手は特に2000年オフにレンジャーズへ同時、10年300億円で移籍したアレックス・ロドリゲスの後釜として活躍を期待していた。

 

実際はそれまで日本人野手がメジャーでプレーしていなく、未知数。

 

当時のメディアはイチロー選手の活躍を疑問視。

 

通用する訳がないという意見が多かった。そして背番号は51番をつけることになるが、マリナーズの51番はそれまでランディ・ジョンソンがつけていた名誉ある番号。

当時は51番にふさわしくないと批判的な意見もありました。

まあ無理もないですよね、ランディ・ジョンソンの後につける訳ですから笑。

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そんなイチロー選手はメジャーのキャンプに向けて、練習に明け暮れる。

 

深夜にオリックスの室内練習場に訪れ、夜遅くまで、バッティング練習をするなど、準備に余念がなかった。

 

のちにイチロー選手はメジャー挑戦について、

 

メジャーに通用するとか、そんなレベルで考えていない、いかにトップに行けるかを考えていと語っている。

 

我々とは違う次元のレベルで考えてたいことを知ることとなる。

 

私たちはメジャー挑戦への期待もありましたけど、本当に通用するのかなと不安のような気持ちもありましたよね。

 

イチロー選手は通用とかそんな次元で考えてなかった。打撃だけではなく、メジャー挑戦前から異次元のメンタリティーを備え付けていた。

 

そしてメジャー1年目となる2001年を迎える。

 

2001年 メジャーに向けて道具をパワーアップ

 

https://goo.gl/images/D9ggfZ

 

日本人野手が初めてメジャーの舞台に立つ。

 

まず、キャンプ前に注目を浴びたのは道具。

 

イチロー選手はメジャーに合わせて、道具のカラーも一新。

 

それまで無地のバットから、黒のバットへ。メジャー1年目はバットの材質をそれまでと同じアオダモと、メジャーの気候にあったホワイトアッシュを使用し始める。

 

のちにホワイトアッシュメインに。2001年シーズンは練習ではアッシュを使用。

 

そしてグラブは日本時代のイエローからネイビーへ変更。

 

 

そしてスパイクもイチロー選手に特注のもの。

 

 

アシックスがイチロー選手のために改良を重ねた軽量スパイク。スパイクの歯もスパイダークローという名前のついた特殊は形状のものに。

 

当時はイチロー選手しか採用されていなく、のちに他のプロ選手へ採用され、のちに市販化されている。

 

スパイクに関しては毎年改良を重ね、軽量化していた。その分、耐久性はなく一年で何足もスパイクは履き替えることとなる。

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道具にまで注目が集まるのはやっぱりスーパースタ~なんです笑。。

 

道具も心機一転し、トレーニングも万全で、

 

http://https://goo.gl/images/tzauPP

最高の状態でさあメジャーキャンプへ。

 

 

待望のメジャーキャンプイン。

 

日本最高の選手がメジャーどこまで活躍するのか日本では注目が増すばかり。

 

Embed from Getty Images

 

しかしアメリカではイチロー選手に対する否定的な意見が多く、特にアメリカメディアは懐疑的であった。

 

そしてファンも日本から来た謎めいた存在に、日本ではすごかったんだろ??くらいの認識。リップサービスと疑問視する声が混じり合っていた。

 

もちろん、監督やチームネートも懐疑的。

 

https://goo.gl/images/3htqDs

当時の監督ルー・ピネラ氏はメディア向けには打率280打ては上出来だろうと語り、実際はこんな選手通用するかくらいの感じであった。

https://goo.gl/images/NKRjU4

 

チームメートもこんな選手が通用するのか??と疑い、イチロー選手はキャンプで道具が多いことから、2つロッカーを与えられていた。

 

メジャーでは実績のある選手はロッカーが2つ与えらることもあり、激怒する選手もいたほど。

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というキャンプでのエピソードあるように、最初は懐疑的な意見が多かった。

 

オープン戦。

 

https://goo.gl/images/1xR1nc

 

イチロー選手はオープン戦初戦から1打席目からヒットを放つなど、順調なスタート。

 

オープン戦では攻守わたり存在感を見せつけ、イチロー選手本人はオープン戦の序盤は反対方向を意識して打席に望んでいた。

 

当然レフト方向へ打球が多いことから、イチローは引っ張るバッティングができないのではないかという意見が出始め、さらに相手の守備体型もレフトよりに。

 

ヒットをレフト方向が多いことにピネラ監督が疑問視し、引っ張るバッティングを要求。

 

そして要求を受け、イチロー選手は試合でライトにホームラン。

 

http://https://goo.gl/images/nvdgGu

 

引っ張れる打撃ができることを証明したイチロー選手。ホームランを打ち、ベンチに帰った際に、これでどう??って伝え、監督を納得させるという最高の結果で示す。

 

それを見た監督はイチロー選手を信頼するようになり、イチロー選手自身も信頼を勝ち取るきっかけだったかもしれないですね。

 

徐々にバッティングも広角に打ち分け、

 

オープン戦でしっかりと打率.320台の好成績でシーズンへ。

 

ここから我々はイチロー選手のすごさを身をもって知ることになる・・・・。

 

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