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イチロー 高校時代から伝説的天才!? 通算打率や成績の凄さ!!

 

高校時代から伝説的天才!?

 

今や伝説の存在となったイチロー選手。

 

日本プロ野球、メジャーリーグで数々の偉業を成し遂げた

 

スーパースターの高校時代。

 

高校時代のエピソードや成績を見ると、

 

やはり高校から伝説的天才ですね。

 

今回はスーパースター、イチロー選手の高校時代をPICKUP!!!

 

目次

イチロー選手のWiki的プロフィール

https://images.app.goo.gl/GpwayTBqe4hkE9zR9

名前 イチロー (本名 鈴木 一郎)Ichiro Suzuki

出身地 愛知県春日井郡豊山町

生年月日 1973年10月23日(46歳)

身長 180cm

体重 72kg

ポジション 外野手

イチロー 高校時代から伝説的天才!? 通算打率や成績の凄さ!!

 

スーパースターの幼少期

 

プロ野球選手を夢みて

 

 

我らがスーパースターであるイチローさん。

 

現役時代の圧倒的な実績はもちろんのこと、

 

やはりプロ入り前の高校時代から伝説的天才であった。

 

そんなズバ抜けて過ぎた高校時代をPICKUPする前に、ここでイチローさんの幼き頃から振り返っていきましょう。

 

幼きイチロー少年は、父親と二人三脚で野球の練習に明け暮れる日々。

 

有名なのがバッティングセンターに通い、小学生から木のバットを使い、軽々と120キロのボールを打ち返すイチロー少年。

https://images.app.goo.gl/AkzB9JXxtgKgzwvn6

小学生からプロ野球を意識しての取り組みで、バッティングセンターの打席の前に立ち、150キロを想定して打っており、

1年360日以上、バッティングセンターに通い、選球眼を養うためにボール球にも手を出さないなど、当時からプロ意識しての練習。

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有名な話で同じバッティングセンターに侍ジャパンの監督、稲葉篤紀氏も通った施設。

 

https://images.app.goo.gl/HvvXBiSdrS6XKQAa7

 

稲葉さんとイチくんと呼び合う二人。

 

葉氏は中京高校の野球部、同じ隣で打っていたこともあったそうで、稲葉氏はすごい少年がいるなーと、のちにそれがイチロー選手であることは有名な話にですね。

 

その後、稲葉氏は法政大学へ進学後、ヤクルト、日本ハムでプレー。

 

WBCでイチロー選手とチームメート。稲葉氏も現役時代2000本安打を達成する選手として日本プロ野球で活躍した人気選手。

 

そんなイチロー選手と稲葉さんが同じバッティングセンターに通っていたのは狭い世界というか一度繋がった縁はどこかでめぐり合うのですね。

 

中学時代には天才ぶりを発揮。

 

https://images.app.goo.gl/p2qz9A62UHJfWd9m9

 

そんな日々野球の練習で、中学時代には卓越した野球センスを見せていたイチロー少年

 

豊山中学3年生の時に、ナゴヤ球場で開催された全国大会エースとしてに出場。

 

そして、その大会には松井秀喜少年も。

 

松井少年も同じ大会には石川県代表で出場していた根上中学2年で大会に出場しており、イチロー選手の中学が勝てば、次の試合に当たる予定あったが、大会で準々決勝敗退。

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なお、松井秀喜少年の根上中学は決勝まで進出。

 

中学時代は対戦は実現しなかったが、日本が誇る好打者と強打者は中学時代から縁があり、そんな松井秀喜氏とは高校時代にも縁があるんですよね。これは後ほど。

 

そして高校に進学するわけですが、イチロー少年は進路の際に迷っていたそうですね。

 

プロ野球を夢見ていたイチロー少年は中学時代の学業も優秀であり、勉強でいくのか、野球でいくのか、卒業後の進路する高校は当初、迷っていたとのこと。

 

しかし、勉学も頑張っていたイチロー少年は学年で5、6番になれても、一番になれなかったことにより、

 

勉学ではなく、一番になれる可能性のある野球一本に中学の時点で決断。

 

そして、中学卒業後の進路は、野球一本でプロ野球選手を多く輩出している地元愛知の強豪、愛工大名電高校を選択。

 

イチロー選手は中学の時点で数々の強豪校から誘いを受けており、それは地元の東邦高校や中京、亨栄など、そして県外からは当時の高校野球の象徴出会ったPL学園からも勧誘を受けていた。

https://images.app.goo.gl/EzDGC9VLxBeD4SJ96

甲子園常連校でもあったが、愛工大名電の監督、中村監督がそれまで13人のプロ野球選手を輩出していること、そして選手起用にも配慮があり、


無理させず故障させない環境作りをしていたことにより、愛工大名電に進むことに。

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そしてイチロー少年は高校野球の舞台に立つ。

 

イチローの高校時代 愛工大名電へ ~プロを目指して~

 

宇宙人言われ、天才ぶりを発揮した高校時代

 

 

進学した愛知工業大学名電高等学校に入学した当初のイチローは身長が171センチ、体重63キロ。

 

まだまだ体格はできていなかったが、身体が大きな先輩たちより、誰よりもボールを遠くに飛ばしていた天才。

 

ずっとバッティングセンターで通い続けていたのは有名な話ではありますが、軟式ボールを打ち続けていたイチロー青年にとって、

高校から変形しない硬式ボールに変わることは捉えることが簡単だったそう。

 

実力が秀でていた天才イチロー青年は高校1年生からレギュラーを獲得。

 

高校入学当初から抜群のポテンシャル、才能を遺憾なく発揮。

 

特に集中力はスバ抜けていたそうで、練習に取り組む姿勢は他の生徒を圧倒。

 

https://images.app.goo.gl/QvTMm3cmHggxVi5F7

有名なのが、愛工大名電のグランドの奥に墓地があり、幽霊が出るという噂。

 

それはイチロー青年が墓地の場所に人目をないところで黙々と練習をおこなっていたことが発展した話。

 

みんなと一緒の時にはできるだけ手を抜いてサボることばかり考えていたという。

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やらされる練習ではなく、自分自身にとって必要な練習だけはかなり意識的に取り組んでいたとのこと。

 

明確なビジョンがあったイチロー青年は、人に練習するところを見せずに自分の目標に向けて、練習に打ち込む。現在の素晴らしい実績を作ったイチロー選手の原点ですよね。


当時から自分の目標にひた走る、明確なビジョンがあったからこそ、それに集中し、純粋に野球が大好きだからこそ、己の練習に打ち込んだんですね。

 

だから全体練習の際にはサボっていたと語っていたのでしょう。

 

https://images.app.goo.gl/ZMdkRwgsxh68Aefs5

イチロー選手本人にとって努力と思っていなかったかもですね。

 

好きなだから、上手くなりたい。ただその純粋な気持ち。当時からやはり天才的な一面。

 

日々の積み重ねがすごいところにまでたどり着く。

 

細かいことの積み重ねるのが、とんでもないところへいくただ一つの道、とイチロー選手の名言の中でもあります。

 

https://images.app.goo.gl/DYZpdaQbY6GgNVJs8

自分自身の純粋な気持ちで行動。それは高校生になっても変わりませんでした。

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愛工大名電の進学した鈴木青年は試練にぶち当たります。

 

高校時代のイチロー青年にとっ寮生活は地獄だったそう。

 

寮生活の鈴木青年は高校時代は寮。現在も行われているかは定かではありませんが、1年生、2年生の時は掃除洗濯の役割があり、

 

当時寮にある洗濯機は数が限られていて、順番待ちでなければ使えない状況。

 

https://images.app.goo.gl/vNzhrmL2BBCJFaGc8

練習があとは食事、その後は11時までが自由時間だったそうで、その時間を練習にあてたかったイチロー青年は、11時まで練習をに当て、その洗濯掃除を後回しにして朝早く起きて取り組んでいたそう。

 

少ない時間も自分の練習に当てようとしていたんですね。

 

だからイチロー青年は高校に入寮して3年生になるまで、午前3時に起きていたとのこと。


寮生活の合間に、野球部の隣の競技場に抜け出し、足場が不安定な砂場で素振りをし、限られた時間で効率よく練習を行い、

 

厳しい環境の中でも明確な目標に向かって行動していた。イチロー青年は他の生徒と意識レベルから全く違う存在だったそうですね。

 

イチロー選手自身、高校時代に比べたら、プロでの生活は天国だと語っています。

 

それだけ高校時代の環境は厳しいものだったのでしょう。

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それにイチロー選手は高校1年生の時に一度だけ野球を辞めたいと口にしたことがあります。

 

愛工大名電高校は年一度、長野県の松商学園と練習試合を開催している。その時1年生ながらピッチャーとして登板したイチロー青年。

 

https://images.app.goo.gl/Ec39JnFA25QtPjrL8

自信を持って投げたボールが通じず、打ち込まれて、子供の頃から野球だけに打ち込んできた自信とプライドが失ってしまうイチロー青年。

それに慣れない寮生活。うるさい先輩たちとの人間関係も重なり、いろんなことが重なりことで父親に野球を辞めたい伝えそうですね。

 

イチロー選手にもそういう気持ちになったこともあるわけで、やはり辛い時期は誰しもあるわけですよね。

 

しかし弱音を吐いたのは高校時代を含めて、その時だけ。

 

類い稀なる才能を高校1年生から発揮。

 

レギュラーを掴み活躍していたイチロー青年は、練習試合も含めてだが、

 

64試合 打率.458 100安打 81得点 5本塁打 79打点 49盗塁

 

高校1年生ながら素晴らしい成績を残している。

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高校2年生になって主力へ。

 

そしてイチロー選手と星稜高校に進んだ松井秀喜氏と初めて高校2年生の時に直接対決。

 

愛工大名電と星稜高校は一年ごとに定期戦を行っており、練習試合で3番レフトで出場したイチロー選手は2試合6安打を放つ。

 

一方、松井秀喜選手は高校1年生ながら、早くも4番。

 

https://images.app.goo.gl/RSan18UE4FhS9Her9

松井秀喜氏は進級するとともに高校野球界に名を刻む名スラッガーになるわけですね。

イチロー選手が2年で松井秀喜氏が一年の時には練習試合の時に少しだけですが、ファースト上での会話もあって、学年が上がっても風呂場で一緒になったり、その後の大部屋でも将来の展望について話をしたり、

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プロに入ってからも二人は対極ですが、日本のプロ野球の顔として平静を象徴するスーパースターとして活躍。

 

https://images.app.goo.gl/oGcaCGfmFfBeZxLn9

昔から何かと縁があった2人。平成の時代、二人をみて育った人は多いはず。

 

イチロー選手は高校2年生の夏の甲子園に出場。

 

3番レフトで先発。1安打を放ったものの、初戦敗退。

 

https://images.app.goo.gl/nFRB38R8efuKydpe7

その後、イチロー青年は高校2年生の時に通勤時中に自動車にはねられ、全治1ヶ月の怪我をおい、当時寮からマイクロバスが出ていたものの、


イチロー青年は足腰を鍛えるために自転車で通勤。その途中に車にはねられ、大怪我ではなかったが、ふくらはぎの肉離れ。

 

その怪我もあり、投球がうまくできず、一次打者に専念することに。

 

https://images.app.goo.gl/xNHw7yPALFkB4iuJ9

イチロー選手は投手としてプロ入りを目指していた。高校入学後は140キロを超えるストレートを投げ、スライダーも切れ味もよく、三振を狙う投手であったが・・

 

この怪我もあり一時打者へ専念したことにより、一層打者としての類い稀なるセンスが覚醒。

 

高校2年生の時の成績は、

 

48試合 打率.463 90安打 55得点 3本塁打 62打点 31盗塁

 

高校1年生の時からハイレベルな成績を残し続けているが、高校2年時の時の打者としての成績も驚異的。

 

そして高校3年生になると、

 

専念した打者で異次元のバッティングを見せることに。

 

 

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