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2004年シーズン後半戦 覚醒
オールスター明けの打撃フォーム。

前半戦の時より、立っていたバットのヘッドの位置が下がり始める。6月の不調により、試行錯誤を続けた結果のマイナーチェンジ。
ここからイチロー選手の快進撃が始まる。
探していた打撃の感覚を掴んだイチロー選手は7月下旬には4安打の固め打ちなど、

7月はヒットを量産。5月に続く、シーズン2度目の月間50本記録。
7月の50本は5月に達成した50本とは打撃の内容が違うもので、打撃の感覚を掴んだ上での結果であるとイチロー選手自身語っている。

前半戦そこまで猛打を見せることが少なかったが、オールスターブレイク後、
目覚めたかのように固め打ちを連発。いつもの後半戦は失速気味の印象があった中、
2004年は夏場以降は調子が上がる一方でしたね。
掴んだ打撃の感覚で、さらなるバッティングを見せることにある。
8月に入っても猛打を連発。7月以上に打ちに打ちまくり、気がづけば首位打者に。
そのヒット量産のペースは落ちるかと思っていましたが、上がる一方。量産体制へ
8月26日には早くもシーズン200本安打をホームランで達成。

メジャーリーグ史上初のルーキーからの4年連続200安打。自己最速のスピード達成。

8月の月間安打は驚異の56本を記録。2ヶ月連続、シーズン3度の50安打は史上初。
凄まじさを増すイチロー選手はとどまることを知らない。
2004年のイチロー選手は9月に入ってもヒットが止まらない、やめられない笑。
9月に入り再び打撃フォームに変化が。
徐々にスタンスの幅も小さくなり、そして7月の打撃フォームからさらにバットが倒れ、水平に寝る。

イチロー選手自身はスタンスが徐々に小さくなり、次に背筋を意識したことにより、
バットが自然に寝た。寝かせたのではなく、寝たと語っており、
ボールをしっかり見極めるための姿勢に取り組んだことからバットをスムーズに出しやすいポイントへ自然と変化していったということだろう。

イチロー選手は9月の打撃フォームは子供頃の感覚に似ていたと語っており、
2004年の後半の打撃フォームは小学生時代の打撃フォームにそっくりという。
2004年に試行錯誤を続けた結果、少年時代の感覚をたどり着き、具現化した形が2004年の後半の打撃フォーム。
再び変化した打撃で9月はこれまで以上に凄みを増す。

9月に入ってなおヒット量産。さらなる凄みを増し、驚異的に打ちまくる。
1試合3安打、4安打、5安打と固め打ちを連発。
手がつけられない状態の異次元のレベルでヒットを量産するイチロー選手に相手選手も脱帽。

気がつけばシーズン最多安打記録を更新を狙えるレベルへ。
メジャーデビューの2001年も8月の終わりにシーズン200安打を達成し、9月に入りペースダウンしてしまい、242安打で終了。
2001年でもかなりすごいのに、その2001年を上回るペースでのヒット量産は過去3年間から例を見ないほど。
しかし記録達成へのプレッシャーからノーヒットの試合も増え、
ヒットのペースは落ちてしまう。

記録が近づくにつれ、少しづづプレッシャーを感じ始めたイチロー選手。

確かにペースが落ちて試合数的に難しいかなと思っていたら、
記録達成はきびしいかと思われた中での再び噴火。
再びの猛打で残り10試合で10本という大記録をロックオンする状況にまで到達。
異次元のレベルのパフォーマンスを見せるイチロー選手。

最大の敵ハドソンからも猛打を放つほど。

イチロー選手にとって強敵であり、イチロー選手が認めるメジャー屈指の投手のアスレチックスのティム・ハドソン。

それまで苦しめられていた相手からも強烈な一打を放つなど、誰が相手でも軽々ヒットを放つほどのレベルに。
その後も着実にヒットを積み重ね、大記録に更新が近く。

そして迎えた2004年10月1日レンジャーズ戦。

第一打席でレフトへヒットを放ち、メジャー最多安打257本に並ぶ。


次の2打席目でセンター前ヒットを放ち、

258本目のヒット。メジャー最多安打記録を更新。




ジョージ・シスラーが保持していた記録を84年ぶりに更新。


とてつもない記録。
ジョージ・シスラーの娘さんがご家族と共にスタジアムで観戦するなど、2004年は数々の歴史を塗り替え続けた最高のシーズン。2004年は伝説のシーズンとなった。
そして、シーズン最終戦まで記録を更新。シーズン262安打を記録。


打率も自己最高の.372をマークし2度目の首位打者を獲得。首位打者、最多安打、そして3年連続ゴールドグラブ。


本当にすごいシーズンであった。
2004年シーズン成績 161試合 打率.372 262安打 8本塁打 60打点 36盗塁

262安打と前人未到の記録。この記録はもう破られることはないと言われていおり、
当時記録を更新できるのはイチロー選手のみと言われるほどであった。
それだけすごい記録。
この記録がすごいのはもちろん、
シーズン安打記録のトップ10の記録にイチロー選手の記録2つ入っているという事実。
シーズン安打歴代記録の間の記録が全てが1930年以前の記録。

偉大な記録のトップテンの中にイチロー選手に記録が二つも。
現代の野球は当時のものとは違く、投手も分業制になっており、そして投手のレベルも現代が間違いなく上。
投手レベルが1930年代よりはるか高いハイレベルな投手たちからのヒット量産は圧巻の一言だろう。
とてもつもない金字塔を打ち立てたイチロー選手。
2019年を迎えたメジャーリーグでも2004年以降240本すら超えたものはいない。
それだけ2004年の安打262本は前人未到の大記録。アンタッチャブルレコード。
シーズン最多安打記録はもっとも塗り替えることが難しいとされていた記録。
この大記録は年を追うごとに偉大さを増しており、
そのすごさを改めて評価が高まっている。

それを更新したイチロー選手はスペシャルで、アメリカでも高く評価され、
イチロー選手への尊敬の念は鳴り止まない。
2004年は本当に異次元。伝説のシーズンであった。
イチロー選手の2004年シーズンに関するまとめ
いかがでしたでしょうか。
イチロー選手にとって2004年は最高のシーズン。
2004年の異次元のシーズンをリアルタイムで目撃できた私たちは幸せ者だ。
過去を振り返れば振り返るほど、改めてイチロー選手のすごさを再認識できる。
特に世界最多安打記録を樹立した2004年シーズンは伝説のシーズン。
イチロー選手は唯一無二。
それだけスペシャルな存在である。


