高校時代は無名の選手!?
日本プロ野球最高の強打者、
現在、プロ野球の顔といっても過言ではない男。
柳田悠岐
日本屈指のパワーヒッターは、
高校では無名選手からスーパースターへ、
いかにして上り詰めたのでしょうか。
今回は福岡ソフトバンクホークスの強打者、柳田悠岐選手をPICKUP
柳田悠岐選手のWiki的プロフィール
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名前 柳田悠岐 (やなぎた ゆうき) Yuki Yanagita
出身 広島県広島市安佐南区
生年月日 1988年10月9日
身長 188cm
体重 92kg
ポジション 外野手
柳田悠岐選手 高校時代は無名の高校球児。
無名からのスーパースター
日本プロ野球の顔、そして日本最高の打者へと成長した柳田悠岐選手。
現在のプロ野球界のスーパースターといってもいい存在だが、
そんな柳田選手だが、高校時代は一体どんな選手だったのだろうか。
ギータこと、柳田悠岐選手は広島商業高校出身。
現在の活躍からは本当に想像できませんが、高校時代は全く無名選手。
高校時代に在籍した広島商業高校では特別突出した選手ではありませんでした。
柳田選手の同学年は何と言っても黄金世代。
同じ年には田中将大、斎藤佑樹、前田健太、坂本勇人といった甲子園のスター選手ばかり。
当時の柳田選手は甲子園での田中将大選手と斎藤佑樹選手の甲子園での決勝を自分の部屋でアイスを食べながら、こいつらすげーなとテレビで見ていたそうです。
こんな選手達がプロ野球にいくんだろうなと人事でプロ野球なんて別次元の人がいくところだと思っていたそうですね。
高校時代の柳田選手からは、現在自分自身がプロ野球の最高の打者へとなっていることは想像できないでしょうね。
柳田選手は現在のプロ野球を引っ張る黄金世代の一人ではありますが、
しかし柳田選手は高校時代は平均以下とういう評価。
同然注目選手ではなく、無名の高校球児。
そして柳田選手は現在のような身体つきではなく、高校入学時は身長も160cmと小柄で、高校三年生になって180センチまで伸びたものの、体重が68キロで細身。
高校通算は11本塁打を放ってはいるものの、現在のような豪快なフルスイングをする打撃ではなく、うまくボールに当てるうまい好打者タイプの選手であった。
当然、柳田選手はプロのスカウト達には注目される存在ではなかった。
もちろん高校時代は明確にプロ意識はしていなかったが、
大学へ進学し、社会人野球を経てからでもプロになれたらと考えていたほど。
しかし、柳田選手は高校と同時に野球をやめようと考えていたそうです。
高校時代の柳田選手は関東の強豪大学のセレクションに落ち続け、自信を無くしていた。
しかし高校の監督が背中を押し続けてくれ、行動し続けた柳田選手は、地元の広島経済大学が受け入れてくれたという。
そして、高校時代はウエイトレーニングをしたことがなかった柳田選手。
部活引退から大学入学するまでの半年間、モスバーガーでアルバイトをしながら、
地元の広島県の有名スポーツジムで週5日ジムに通い、身体を鍛え続け、体重も10キロ増の78キロにパワーアップ。
高校時代は野球の練習だけでウエイトをしたことなかった柳田選手は、身体を大きくすればもっとできるのではないかと真剣にウエイトに励んでいた。
このジムでの期間が大きな転機に。
そして、柳田選手は地元の広島経済大学へ進学。
そして、広島経済大学時代が柳田青年の人生を大きく変えるわけですね。
大学1年生からレギュラーを獲得。
地元の広島経済大学に入学した柳田選手はウエイトトレーニングの成果により、一回り大きくなりパワーアップに成功。
入学後も継続して筋力トレーニングを続けて、
それまでとプレーの質が変わり、先輩にプロを目指せよ!!と言われたことにより、
柳田選手は大学に入り、真剣にプロ入りを目指すことに。
大学進学後の柳田選手は覚醒。安芸のボンズと称されほど強打者に成長し、大活躍。
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パワーを身につけた柳田選手は大学4年生の時には89キロに。高校3年から4年間で20キロのパワーアップに成功。
バッティングでは驚異的な飛距離のホームランを連発する強打者へと変貌を遂げた。
そして広島経済大学ののびのびできる環境が柳田選手にはマッチし、現在のスタイルへと変貌を遂げた。
ウエイトトレーニングにより、パワーワップし打撃が開眼した柳田選手の打った打球は、普通の大学生には手に負えないレベルの打球を放ち、
大学4年の時には強烈な打球でセンターバックスクリーンを超える規格外のホームランを放つほど。
そして、柳田選手の打った内野フライが高すぎすぎて、大学生が取れないという数々の伝説を残すまでの選手へと成長。
大学時代に並外れたパワーで、規格外の選手へと成長した柳田選手。
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広島六大学リーグでベストナイン6回、打率.400以上を5回、首位打者4回と素晴らしい成績をマーク。
当然、実力は地方リーグながら抜きん出ており、
柳田選手は広島六大学リーグの怪物と呼ばれるまでに。
その異次元の活躍に気づけばプロ10球団が注目する存在へ。
柳田選手は夢のプロ入りを自らの鍛錬で掴み取ってみせた。
柳田悠岐選手のドラフト何位?? 当時のエピソード
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広島経済大学での活躍でプロ注目の選手へと成長した柳田選手。
現在の柳田選手があるのは王貞治氏の先見の明があったから。
当時ソフトバンクは現在埼玉西武ライオンズに所属する秋山翔吾選手を指名する方向で進んでいたという。
しかし、ホークスは和製大砲を欲しかったこともあり、ドラフト会議前日に王会長が、
秋山と柳田、どちらが飛ばすんだ??との問いにスカウトは、柳田です。と答え、
王会長は、それならば夢のある方がいいじゃないかと提言。
これにより、ホークスは指名候補を変え、柳田悠岐選手を指名。
その結果、2010年のドラフト会議で二巡目指名で福岡ソフトバンクホークスへ入団。
そして獲得を提言した王会長は、入団後柳田選手の最大の持ち味であるパワー伸ばすよう指示。
規格外のポテンシャルを誇る柳田選手に惚れ込んだ王会長。
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柳田選手が持っている持ち味フルスイング、長所を伸ばすように、大きく育てましょうという王貞治氏の進言により、
柳田選手の最大の持ち味、フルスイングを活かしてプロ入り後は着実に成長。
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プロ4年目に全試合出場。打率.314 15本塁打 70打点 盗塁33をマークし、ホークスの外野のレギュラーを獲得。
その後はさらなる飛躍をみせる異次元の選手へ。
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トリプルスリーを達成など、規格外の存在へと成長。昨年も打率.352とハイアブレージを残し、二度目の首位打者を獲得。
柳田選手は常勝ホークスの走攻守の要として、日本を代表するスター選手となった。
そして、現在はメジャーも注目の日本最高の強打者といっても過言でない存在へ。
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王会長の存在がなけれ今の柳田選手のスケールを大きい打者にはならなかったことでしょうし、プロ入りすらできていないかもしれません。
これまでの経緯を考えると、柳田悠岐選手は現在の道のりだったこそ今があるのでしょう。
もし高校から甲子園に出場し、有名になり活躍。高校からプロや六大学に進んでいたから、
現在の柳田悠岐というスーパースターは誕生していないのではないでしょうか。
当時の監督もきっと大切な巡り合わせで、高校野球引退後を野球はもういいかなと考えていた柳田選手に野球を続けることをアドバイスをおくり続け、
関東の強豪大学のセレクションを受けて落ちて、広島経済大学に進んだからこそ今がある。
柳田選手には必然の経緯だったのでしょう。
そして夢に諦めずに野球を続けてきた柳田選手だからこそ、人間には必然の経緯、巡り合わせが必ずあるのかなと感じます。
夢を諦めなかった柳田選手。
自分自身に想いを大切にしたからこそ、
そして、素直な人間力が今の姿へ導いたのかもしれませんね。
柳田悠岐選手に関するまとめ
いかがでしたでしょうか。
柳田悠岐。
高校時代は無名の選手からの夢のプロ入り。
そして日本最高の選手へと成長。
柳田選手のポテンシャルはまだまだこれから。
さらなる活躍を期待していきましょう。