出身中学や高校は??
高橋れい
ソフトバンクが誇る期待の若手
これまでにいない速球派のアンダースローとして注目の存在。
そんな若武者が目指すのは世界最高のサブマリン。
志高き男。
今回は福岡ソフトバンクホークスの高橋礼投手の出身中学や高校、
そして高校時代の活躍をPICKUP!!
目次
高橋礼投手のwiki的プロフィール

名前 高橋礼(たかはし れい)
出身地千葉県松戸市
生年月日 1995年11月2日(24歳)
身長188cm
体重84kg
ポジション 投手
高橋礼 出身中学や高校は?? 高校時代に決意したサブマリンへの道
高校時代はどんな選手??

期待のサブマリン
高橋礼
玄界灘のサブマリンと称される期待の若武者
ソフトバンクから新時代のアンダースローが登場だ。
野球界には貴重価値の存在であるアンダースロー。
これまでのアンダースローの投手の球速120キロ台が多く、早くても130キロ台であったが、
高橋投手は身長188センチと高身長から最速145キロをマークするなど、
長身で速球を投げるアンダースローはプロ野球の歴史上でも存在しない。
速球が持ち味である長身の本格派サブマリンだ。
2019年シーズンはプロ2年目ながら、12勝を挙げ、堂々たる活躍ぶり。
常勝軍団ホークスの先発の柱として、今後、球界を期待の若手の一人。
これから球史の名を残すサブマリンとなれるか。
そんな期待の高橋礼投手であるが、高校時代はどんな選手であったのだろうか。
ただでさえ珍しいアンダースーローだが、どのようにしてたどり着いたのだろうか。
今回はソフトバンクホークスの高橋礼投手の高校時代をPICKUPしていきましょう。
高校時代に決意したサブマリンへの道

高橋礼投手は千葉県松戸市出身。
経歴 松戸市八ヶ崎市第二小学校→松戸市立第三中学校→専修大学松戸高校(千葉県)→専修大学
小学校から野球を始め、中学では流山ボーイズへ。
現在、高橋礼投手は188センチと高身長であるが、
中学の時点で175センチあるなど、当時から恵まれた体格であった。
高橋礼投手は中学の時点ではまだ高橋投手はオーバースローであり、竜山ボーイズではチーム内の中で、3、4番手の扱いで、
投手としては目立った存在ではなかった。
当時、高橋礼投手は速球に憧れを抱いていた野球少年。
しかし、速い球を投げることができず、チーム内での登板機会が数多く与えられるわけでもない、立場であった。
もっと試合に出るために、中学時代のコーチの勧めもあり、アンダースローへ挑戦。
出場機会を得るためにアンダースローへ。
高校入学前に本格的にアンダースローへ転向することに。
中学卒業後は専修大学松戸高校へ進学。
専修大学松戸高等学校はこれまで6人のプロ野球を排出し、千葉県内では甲子園常連校ではないものの、千葉県内では実力のある高校。
高橋礼投手は千葉県の松戸出身であり、高校も地元松戸市にある専修大学松戸高校へ。
中学の時点でアンダースローに挑んでいたわけだが、
進学した専大松戸高校の監督は、過去に常総学院で率いたこともある高校野球では名将なのでしょうか。
そんな持丸監督は高橋礼投手が188センチもある長身を生かした上手から投げる姿を望んだそうで、高校入学と同時にオーバースローへ転身を進めたが、
高橋投手はアンダースローで勝負したいと直訴。
2年生の冬にもオーバーハンドに挑戦したということだが、高橋投手は長年のアンダースローでの横回転の動作が染み付き、
力を伝える動作ができず、上手投げでは思うように投げることができなかったという。
中学時代に自らの輝く可能性を感じたアンダースローで勝負することを選んだ。
高校時代に決意したサブマリンへの道。
この転向が結果的に高橋礼投手をプロの道へ導き、球界でも期待のホープに。
高校入学時に監督に言われた上手投げを選択していたら、現在の高橋投手は存在しないわけで、
高校時代の決断は現在の姿を見れば、間違っていなかったということ。
高校時代の決断は野球人生において、ターニングポイントでしたね。
ちなみにですが、アンダースローは和製英語で、メジャーリーグでは下手投げ投手のことを、おなじみのサブマリンと呼ぶのが一般的とのことです。
大型サブマリンとして飛躍した高校時代

高橋礼投手は高校1年生の秋からベンチ入り、高校2年生には救援投手として、
そして高校3年の春にはチームのエースへ。
春の関東大会でベスト4、そして夏の大会では準優勝。
高校3年間で甲子園出場はならなかったが、進学した専大松戸高校で投手として確かな技術を磨き、成長することができた。
高校時代、自らの可能性を広げる活躍をみせた。
自ら信じたサブマリンへの転向が高校時代の高橋礼投手の才能を見出し、花開くことに。
大学で磨き上げ、プロのステージへ。

高橋礼投手は専大松戸高校卒業後は、専修大学へ進学。
専修大学では大学1年の間からリーグ戦に登板し、頭角を表し、
2年の秋までに8勝をマークし、早くもユニバーシアード日本代表にも選出されるなど、
徐々に大学球界での注目の存在に成長していた。
そんな注目されるようになった高橋投手は、
高橋投手は高校時代は最速は128キロ。
高橋投手は大学進学で現在のような本格派アンダースローへと変貌する。
高校時代の大学入学後、最速は128キロだったストレートは2年生の春には139キロをマーク、
そして春には最速141キロと、投げるたびに自己最速を更新するなど、
大学を進学で投手としてスケールアップの成功していた。
高橋大学進学後は直向きに野球と向き合い、日々とレーニングを怠らなかったという。
大学入学後、重点的に行った下半身トレーニング。この日々の鍛錬が、高橋投手が飛躍するきっかけとなっている。
長身で145キロに迫るボールを投げるアンダースローは、
大学球界での際立つ存在として活躍。
それに加えてコントロールも兼ね備えていた高橋投手は、スピードだけではなく、コントロールの良さに大学時代のチームメートは驚くほど。
順風満々も3年になると不振に

しかし3年になると、リーグ戦で4連敗するなど、打ち込まれ不振に。
高橋礼投手は大学進学のトレーニングにより、スピードボールを手にしたことにより、さらに球速を求めてしまい、
ストレート頼りの投球により、そしてストレートを狙い撃ちされることが増え、バランスが崩れてしまったのが原因。
それまでできていた自分の投球を見失い、相手の間合いで投げてしまい、修正すらできないほどスランプに陥ってしまった。
4年の秋にようやく・・・

なかな思うような投球ができず、4年の春になっても不調。
大学生活の生でも最低の成績となり、チームを2部に降格するなど、
2部入れ替え戦で自ら登板するもサヨナラ本塁打を打たれるなど、厳しい日々。
アンダースローで動きの大きいモーションの修正に苦戦し、大学前半で見せていたキレのあるボールを投げることができず。
その後、自らの投球を見直し、崩れていた投球フォームを一球ずつ修正。
そしてストレート頼りの投球ではなく、緩急を使うことも習得し、徐々に復調。
大学4年の秋の大会では再び一部昇格はできなかったが、チームのエースとして存在感を発揮し、
大学前半での見せていた輝きを取り戻しつつあった。
高橋投手は大学後半は不振で苦しんだが、プロのスカウトから、高橋投手に視線を送っていた。
希少価値の高いアンダースローでのポテンシャルの高さ、そして大型サブマリンへの将来性を伸び代を含めて高く評価。
2017年のドラフトは清宮幸太郎選手や、中村奨成選手、安田尚憲選手など、甲子園を騒がれせたスター選手が大注目のドラフトであったが、
2017年のドラフトでソフトバンクから2位指名を受け、プロの世界へ。
高橋投手はドラフトでは目立ったなかったが、目標のプロの切符をつかんだ。
世界最高のサブマリンを目指して

プロ1年目から一軍で活躍し、
そしてプロ年目の2019年は12勝を挙げ、今では侍ジャパンの選出されるなど、
着実にプロの世界でも才能を開花している。
高橋投手はプロ入団会見で、アンダースローの伝道師になりたいと語っており、
絶滅危惧種であるアンダースローで球史名を残す名投手となれるか。
レジェンド山田久志氏、そして渡辺俊介氏や牧田和久投手など、
アンダースローとして活躍した偉大な先輩に肩を並べるような存在へ。
いや、本格派のアンダースローとして、唯一無二の存在へ。
高校時代に自ら信じたアンダースローへの道。

自らを信じだ道へ。
世界最高のサブマリンを目指して。
プロの世界でも貪欲なまでに突き進んで欲しい。
その道は始まったばかり。
高橋礼投手に関するまとめ
いかがでしたでしょうか。
ソフトバンクが誇る本格派アンダースロー、高橋投手。
現在は球界を代表する投手へ着実に成長しているが、
原点は高校時代。
高校時代にアンダースローで勝負すること選んだことが、
現在の侍ジャパンにも選出されるような投手に。
能力や才能にばかり目が行きがちだが、
野球、自分自身の夢への想いが、
自らの信念と野球への直向きさがあったからこそ。
今後の成長過程が楽しみな投手。
ぜひ世界最高のサブマリンになって欲しいですね。
