坂本勇人 高校時代はヤンチャ?? 成績や評価,高校通算何本??




高校時代はどんな選手??

今や、球界の代表する選手になった、

坂本勇人

球界の顔にまで成長した日本を代表するショートストップは、

高校時代はどんな成績を残し、

どんな評価を受けていたのでしょうか。

今回は読売ジャイアンツの坂本勇人選手の高校時代をPICKUP

坂本勇人選手のWiki的プロフィール

https://images.app.goo.gl/rZvYHMPL2T9w4AkT7

名前 坂本勇人(さかもと はやと)

出身 大阪府伊丹市

生年月日 1988年12月14日(30歳)

身長 186cm

体重 83kg

ポジション 遊撃手

坂本勇人選手の高校時代 成績は??

読売ジャイアンツ所属の坂本勇人選手。

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今や、日本を代表するショートとして大活躍。

そんな球界屈指の強打者にまで成長した坂本勇人選手は、学生時代、特に高校時代はどんな選手だったのでしょうか。

坂本選手は、小学生からクラブチームで野球を始め、

そのチームには現在ニューヨーク・ヤンキースのエースとして活躍する田中将大投手と同じチームに。

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その時は坂本選手がピッチャーで、田中将大が捕手とバッテリーを組んでいたというのは有名な話ですよね。

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中学は地元伊丹市のシニアリーグでプレー、中学二年生の時に関西選抜に選ばれるほどの実力の持ち主で、

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地元兵庫県の強豪から誘いがあったが、坂本選手は当時はとてもやんちゃであり、学校側が推薦状を出さない状態であったそうです。

中学三年生になっても進学先が決まらない坂本選手。

甲子園に出場するため関西に来ていた光星学院の金沢監督に、「ヤンチャだが素晴らしい素質の持った選手がいるから」と連絡が入り、

金沢監督が伊丹まで視察に行ったことにより、坂本選手の素質に惚れ、

坂本選手は青森県の強豪、光星学園に進学。

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光星学院進学後は類い稀なる抜群の野球センスで1年生の時からレギュラーを掴み活躍。

当時から光るものがあり、大した活躍はしていないものの、

プレーに野球センスを感じる素材の良さであり、

当時将来指名することにあるジャイアンツの大森スカウトは坂本選手の才能に一年生から誇れんでいた。

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しかしヤンチャで有名だった坂本選手は厳しい練習の中、冬に帰郷した際に問題を起こし、耳と鼻ピアスをして戻ってくるなど退部騒動を起こすものの、周囲の説得もあり、その後は野球に専念している。

もともと素晴らしい野球センスを持っていた坂本選手。

この騒動により、野球のない自分は自分じゃないと心改め、真摯に野球に向き合うことを決心した坂本選手は

覚悟を決めた。

その後は誰よりも野球に取り組み、その姿は別人のような存在へ。

練習の成果もあり、二年生になり、

荒削りで実力はまだまだであったが着実に力をつけていった坂本選手。

夏の県予選では決勝まで進出。決勝の対戦相手の青森山田高校には当時その年に千葉ロッテにドラフト一位指名で入団する柳田将利投手から、

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バックスクリーンに特大弾。

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プロ注目左腕からの特大弾を放つ抜群の野球センスを見せつけるようになり、その活躍ぶりに徐々にプロのスカウトも注目するように。

そして3年生の春の甲子園選抜大会に出場。

光星学院の4番ショートで出場し、甲子園では3安打を放ち、その才能は甲子園でも存在感をみせ、

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2年生の3月から20本以上放つなどホームランを量産。類い稀なる野球センスと、

柔らかい打撃で天性の野球センスを魅せつけていましたが、

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しかしプロからの評価は高いものではなく、賛否が分かれるほど。全国的な選手ではなく、決して評価が高い選手ではありませんでした。

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そんな坂本選手は高校3年間で高校通算39本塁打放つ高校生屈指の強打者として、

2006年のドラフト会議にて、坂本選手はジャイアンツから1位で指名を受け、入団することとなりますが、

しかし当初の一位指名は現中日ドラゴンズの堂上直倫選手を指名する方針。

ジャイアンツは当時高校ナンバーワン野手という評価を受けていた堂上直倫選手。

しかし堂上選手には3球団が競合。ジャイアンツは抽選を外し、その後外れ一位で坂本勇人選手を指名。

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ドラフト直前の事前会議で、競合が予想されていた堂上選手の外れ一位を誰にするのかジャイアンツは悩んでいたとのこと。

当時のジャイアンツのスカウト大森剛氏が坂本選手を高校1年生の時から注目しており、

坂本選手の指名を球団側に自身の首をかけて、

絶対にプロで活躍できます!!強く主張。その熱意に当時の監督でもあった原辰徳監督からもが出たことにより、

結果外れ一位であったが、読売ジャイアンツが指名し、坂本選手は入団。

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ジャイアンツが坂本選手を指名したのは大森氏の存在があったからですね。

そして坂本勇人選手はプロの世界へ羽ばたく。

そしてその後はプロで大活躍。

2006年坂本勇人選手は読売ジャイアンツに入団。

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プロ野球選手としてスタート。

坂本選手は一年目は開幕当初は二軍で迎えますが、夏場に一軍昇格。終盤には延長戦の試合を決める一打を放つなど、

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坂本選手の魅力の一つでもある勝負強さを一年目から魅せつけ注目。

そしてプロ2年目には松井秀喜氏以来の10代開幕スタメンを果たし、全試合スタメン出場。

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日本シリーズではホームランを放つなど、着実に成長している姿を魅せた。

当時の監督でもある原監督がシーズン通して辛抱強く坂本選手を使い続けて起用したことが、現在の坂本選手へと導くことに。

坂本選手は、高卒3年目に打率3割、4年目には31本塁打、その後も最多安打を獲得するなど、

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着実にジャイアンツの主力として力をつけ、成長。

しかしその後は伸び悩む時期もあり、平凡な成績を残す日々。

坂本選手自身当時の状況にこのままでは平凡な選手に終わる・・と危機感があった。

焦りが坂本選手は野球に対する取り組みを見直すきっかけになり、

さらに大きなきっかけになったのがレジェンド松井秀喜氏のアドバイス。

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2016年の春のキャンプに臨時コーチとして参加していた松井秀喜氏からのアドバイスが坂本選手を飛躍的に変わるきっかけになり、

そして迎えた2016年シーズンで打率346をマークし、

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ジャイアンツ史上初の首位打者を獲得。

見事なシーズンを送り、さらに2018年シーズンは打率345と好成績をマーク。

現在は見事日本を代表するショート、今や日本プロ野球球界の背負う存在になった。

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高校時代にエピソードを考えると現在の坂本勇人選手は想像もできませんね。

当時は愛工大名電高校の堂上直倫選手が高校ナンバーワン、超高校級スラッガーとしてドラフトの目玉選手。

しかし、現在中日ドラゴンズでプレーしていますが、レギュラーとは言い難く、表現は悪いですがまともな成績を残していない状況。

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しかし、現在坂本勇人選手はショートとして初首位打者をするなど球界代表する選手。

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外れ一位といえど、もしかしたら大森スカウトの存在がなければ、ジャイアンツ坂本勇人誕生していなかったと思うと考え深い。

大森元スカウトの先見の明につきますね。

当時のスカウト大森氏が導き、現在の坂本勇人選手の姿がある。

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坂本勇人選手に関するまとめ

いかがでしたでしょうか。

ジャイアンツの顔にまで成長した坂本勇人選手。

高校時代から類い稀なる野球センス。

しかし、球界最高のショートの現在からは想像できないが、

本当に素晴らしい選手へと成長したと言えるだろう。

これからもさらなる活躍を期待していきましょう。

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