サッカー

大迫勇也 高校時代をPICKUP!! 小学生時代から半端なかった!?

 

日本のエースは高校ではどんな選手??

 

大迫勇也

 

今や、サッカー日本代表の顔といってもいい。

 

そんな日本のエースの高校時代は凄かったことは有名ですよね。

 

そう、半端ないストライカーとして名を馳せた高校時代。

 

そんな怪物を発揮していた男は幼き頃、小学生時代から天才だったのだろうか。

 

やっぱり高校時代のように半端なかった??

 

今回は大迫勇也選手の高校時代はもちろんのこと、

 

小学生時代などプロ入り前、日本のエースの学生時代をPICKUP!!

 

大迫勇也選手のWiki的プロフィール

 

https://images.app.goo.gl/5AnR6cd1VUcLK4ydA

名前 大迫勇也(おおさこ ゆうや) Yuya Ohsako

出身地 鹿児島県南さつま市

生年月日 1990年5月18日(29歳)

身長 182cm

体重 71kg

ポジション FW (フォワード)

所属クラブ ヴェルダー・ブレーメン(ドイツ・ブンデスリーガ)

大迫勇也 高校時代をPICKUP!! 小学生時代から半端なかった!?

 

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日本のエース

 

大迫勇也

 

今や、日本代表の背負い、

 

日本を牽引する日本のエースストライカー。

 

2018年のW杯での活躍、そして2022年カタール大会でも間違いなく日本代表の引っ張る存在であり、

 

年齢的にも円熟期に入る男には期待が高まる。

 

そんな日本代表の顔にまで成長した大迫勇也選手であるが、

 

もうお馴染みとなった、大迫半端ないって!!っていうフレーズにはサッカーファンのみならず、知っている方も多いのではないだろうか。

 

大迫=半端ない・・・

 

彼を語る上で欠かせない言葉であるが、その言葉が生まれたのが高校時代。

 

彼が活躍するたび、フォーカスされる彼の学生時代だが、

 

彼が見せた高校時代のプレーは高校サッカー界の象徴的存在であり、怪物ストライカーとして、今もその活躍は語り継がれている。

 

そう、日本のエースはやはり学生時代から化け物。

 

それだけ強烈な存在感を放っていたのだ。

 

今回は日本のエースストライカーの大迫勇也選手の高校時代がどんな活躍ぶりだったのか、

 

そして高校時代、怪物ストライカーとして名を馳せた逸材はどのように生まれたのか、

 

今回は大迫勇也選手の高校時代、そして小学生時代からの活躍ぶりをPICKUPしていきましょう。

 

 

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大迫勇也の学生時代 小学時代~高校時代)

 

小学生時代かかすごかった!?

 

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大迫勇也選手は鹿児島県加世田市(現・さつま市)出身。

 

鹿児島県の南西部の加世田氏は、自然豊な環境で山々にか揉まれた環境ですくすくと育っていたという。

 

そんな大迫勇也選手は大迫家の次男として生まれ、サッカーと始めたのが3歳の時。

 

通っていた幼稚園に巡回指導していた太陽スポーツクラブでサッカーキャリアをスタート。

 

小学生3年生から万世サッカースポーツ少年団でプレー。

 

万世スポーツ少年団の練習はシンプルで、そして大迫少年は練習のない日も、サッカーに明け暮れ、

 

サッカーの楽しさを感じるような環境の中、メキメキサッカーの実力をつけ、小学高学年の頃には少年団内で絶対的なエースとして活躍。

 

県選抜、トレセンにも選出されるようになっていた大迫少年。

 

当時はまだ天才サッカー少年とはいかないものの、徐々に非凡な才能を見せ始めていた。

 

しかし、同世代で非凡な才能を見せていた大迫少年にとって、

 

同世代との練習は物足りないものとなっていた。

 

そんな大迫少年は小学生時代の大迫選手には3つ上の兄がおり、同じチームに在籍していた兄と練習をするように。

 

3つ上となれば、体格的も勝る兄真っ向から挑み、もちろん負けてばっかりだったそうですが、体格に勝る兄と競り合う中、実力をつけていった。

 

大迫選手の持ち味である強さ、身体を張る真骨頂であるポストプレーの原点となっているのでしょうか。

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中学時代〜高みを目指して、上手くなる環境へ〜

 

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地元サッカークラブでプレーしていた大迫少年はサッカーへの情熱を注ぎ、

 

もっと上手くなりたいと気持ちになり、鹿児島育英館中学へ進学を決意。

 

理由は鹿児島城西高校と提携のある育英館中学校がサッカー部を新設されることになり、地元中学へ進学選択肢としてはあったが、

 

先輩がおらず、一年生から試合に出場できるとことが理由の一つ。

 

そして鹿児島育英中学から万世SCCへのセレクションの案内が来たことにより、セレクションを受けることを決断。

 

セレクション時の大迫少年は半端ない存在ではないが、ボールの扱いや身体の使い方が秀でており、

 

やはり当時からボールをキープする能力に光るものがあったという。

 

もちろんセレクションは合格。

 

進学した育英館中学の練習は非常に厳しいものだったそうで、大迫選手自身も中学3年間は本当に必死だったという。

 

そして育英館中学までバスで1時間でかかる環境でとてもハードな毎日を過ごす日々。

 

しかし、それはサッカーが上手くなるための決断であった。

 

ハードな毎日の中、大迫選手は入学当初は抜けた存在ではなかったが、大迫選手は学年を追うごとにメキメキと実力をつけ、

 

新設された中学ということもあり、対戦相手が中学3年生相手でも得点を決め続ける存在に成長。

 

中学入学当初はトップ下でプレーしたが、ポジション関係なく得点を決めることもあり優れた得点感覚を身につけていた大迫選手をFWに転向。

 

小学時代から競り合いにも負けない対人の強さは磨きがかかり、ストライカーとしてもメキメキと成長していった。

 

中学2年生なるとチーム内で絶対的な存在に。

 

周囲が想像超えるような成長を見せ、その存在は鹿児島県内で名をはせるようになっていた。

 

中学3年生の時には県大会を優勝し、九州大会に出場。

 

U-15日本代表候補にも招集されるなど、徐々に怪物ストライカーの片鱗を見せ始めていた大迫選手はプロを意識するようになっていく。

 

そして、高校進学後、全国にその名を轟かせる舞台へ、怪物ストライカーが目を覚ますこととなる。

 

大迫選手は、ハンパない存在となるのだ・・・・・

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高校時代~〜怪物の片鱗を発揮〜

 

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中学時代に県内でも屈指の存在となっていた大迫勇也選手。

 

鹿児島城西高校へ入学前から大器の片鱗ぶりを発揮。

 

高校入学前の春休み入学する予定である鹿児島城西高校のサッカー部の練習に帯同し、

 

その時に開催された大学生との練習試合で15分間の出場でいきなり1得点1アシストをマークするなど、別格のパフォーマンスを発揮。

 

そんな大迫選手の姿を見た、鹿児島城西の小久保監督は中学時代の大迫選手を見ていたとはいえ、

 

その成長速度に驚くばかりであったという。

 

高校1年生になる前に、すでに超高校級の逸材に成長していた。

 

そして入学後のインターハイにも高校一年ながら、出場機会を獲得し、試合に出れば簡単に得点をマーク。

 

大迫選手は入学当初はスーパーサブ的な役割ながら、出場準備を始めるだけ、周囲がざわつくなど、すでに超高校級ストライカーとして認知されるように。

 

そして練習でも高校生では相手ならず、先生が一対一の練習に付き合うほど。

 

それは大迫選手が成長するために先生が練習相手をしていたわけだが、

 

先生が競り合いで身体を寄せても微動だにせずボールをキープされ、軽々シュートを打たれるなど、

 

大迫選手は高校入学当初から、少しずつ化け物の片鱗を見せ初めていた。

 

高校入学と当時にU-16日本代表にも選出され、怪物ストライカーは着実に成長したものの、

 

高校2年になると大迫選手に試練が・・・・・

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U-17日本代表の最終メンバーから落選。

 

その影響か、チーム内で絶対的な存在となっていた大迫選手は責任感を感じ、

 

それまで簡単に得点できていたゴールを奪うことができず、スランプに。

 

U-17日本代表には16歳にしてプロになり当時話題を呼んだ柿谷曜一朗選手など、Jユースのタレントたちの存在が壁となり、最終メンバーから落選。

 

代表落選の影響により、チームに戻っても自己中心的なプレーが目立つようになり、

 

大迫選手は自らの持ち味を見失うほど、スランプに陥っていた。

 

しかし大迫選手はスランプの中でも監督のアドバイスを聞き入れ、そして中学時代から逸材として名を馳せながらも、

 

天狗になることはなく、苦しい時も直向きにサッカーに取り組んでいた。

 

若いうちに才能がある選手ありがちな、個人技に走るような才能だけに頼るプレー、

 

そして怠慢なプレーが目立つような選手になることもなく、チーム内の方針である、謙虚であることを聞き入れ、常に練習熱心。

 

中学入学の時から練習後、GKを捕まえてシュートを練習を続けるなど、それは高校入学後も変わらず取り組んでいた。

 

どんな時も直向きにサッカーに取り組む姿勢により、徐々にスランプから抜け出すようになり、

 

そして監督からのアドバイスの自分だけに頼るだけではく、周りと連動性あるプレーをするようにというアドバイスにより、大迫選手のプレーに変化が。

 

もともと個人技に秀でた大迫選手は、スランプ以降、監督のアドバイスを真摯に聞き入れ、周囲を使えるように。

 

攻撃の起点になるようなプレーもできるようになり、それまで以上に選手として幅が増え、スランプから脱出し、再びゴールを量産。

 

高校2年生でのスランプを経験したことにより、より一層、大迫選手は覚醒。

 

ゴールを奪うだけではない、万能型のストライカーに変貌していた。

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半端ないストライカーへ覚醒

 

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挫折を経験したものは強い。

 

高校3年生となった大迫選手はこれまでの経験を糧にし、

 

選手として凄みを増していたのだ。

 

超高校級ストライカーとして、全国区の存在へ。

 

大迫選手は怪物ストライカーとして覚醒を遂げ、大暴れ。

 

インターハイ鹿児島県決勝で5得点をマークし優勝、

 

高校3年生の選手権県予選で11得点でチームを8年りの選手権に導くなど、怪物として覚醒した大迫選手は高校生では手がつけられない存在へ。

 

そして、誰もが知る全国高校サッカー選手権大会での半端ないプレーを目撃することなる。

 

大迫勇也選手のハイライトとなる高校3年生全国サッカー選手権大会。

 

この大会はプロになった今での難度も繰り返されるほど、伝説。

 

選手権史上初の1回戦から4試合連続2ゴールで圧巻のパフォーマンス。

 

全国から集まってきた各県の強豪校の選手たちですら、大迫選手と対峙した際には相手にならないほど

 

高校生の中にプロが一人紛れ込んでいるかのように、際立ったパフォーマンス。

 

高校3年間で大きく成長し、集大成とのなる大会では彼は紛れもなく天才であり、怪物であった。

 

大迫選手に共にすることにより、チームメートも力を発揮し、鹿児島城西は決勝に進出。

 

決勝では惜しくも優勝はできなかったが、大迫選手は選手権最多ゴール記録を更新する10ゴールをマークし、

 

集大成となる大会で10得点10アシストと大暴れ。規格外の怪物ストライカーとして、その名を全国に轟かせていた。

 

大迫、半端ないって!!という言葉が当時話題を読んだが、大迫選手は高校生の枠を超え、

 

当時、誰もが将来の日本の背負う存在になると思うほどの活躍であった。

 

なお大迫選手の高校時代の選手権での得点記録は未だ破られていない。

 

大迫選手は高校卒業後、Jリーグの鹿島アントラーズへ入団し、2年目から主力として活躍し、5年間プレー後、さらなる高みを目指して海外へ。

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今や、日本を背負う存在に。

 

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高校サッカー界の歴史の名を残すほど大活躍した大迫選手であるが、もちろん天性の才能には疑いの余地はない。

 

しかし、才能以上に常に努力を怠らない直向きでストイックな姿勢がそこにはあった。

 

それは目標だったプロサッカー選手になるために。

 

大迫選手はプロになるために練習以外でのサッカーのために考え、食事の面でもお菓子やカップラーメン、そして炭酸飲料を摂取しないなど、体調面でもストイック。

 

高校生とは思えないほど、ストイックにサッカーと向き合う日々。

 

きっと当時の大迫選手のプロという世界を見据えていたのでしょう。

 

現在、日本代表の司令塔として活躍している柴崎岳選手も大迫選手と同じように、幼き頃からプロという世界を意識して行動していた。

 

貪欲に直向きに、時に挫折を経験したが、その経験が大迫選手をさらに強くした。

 

高校卒業後、小学時代からの目標であったプロの世界へ。

 

そして海外挑戦、今や、日本代表のエース。日本代表でも絶対的な存在となっている。

 

高校時代から怪物と騒がれた大迫選手であったが、その裏には誰よりも、目標への直向きな想いがあったからこそ。

 

大迫選手は目標だったプロになれた理由はサッカーが好き、という想い。

 

その想いの強さがあったからこそ、半端ないストライカーに成長した。

 

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ただ好きなサッカーが上手くなりたいという気持ちで練習に打ち込んだ結果、

 

それはサッカーへの想い、誰よりも上手くなりたいと気持ち。

 

ズバ抜けた才能だけに注目されがちだが、

 

誰よりも目標に達成する想いの強さがあった。

 

才能云々ではない、自分自身を信じるということが

 

一番大切なのかもしれない。

 

 

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大迫勇也選手に関するまとめ

 

いかがでしたでしょうか。

 

高校時代、高校サッカー界を席巻した大迫勇也選手。

 

半端ない存在だった高校時代であったが、

 

意外にも幼き頃、小学生時代から半端ない存在ではなく、

 

いわゆる天才ではなかった。

 

しかしながら、誰よりも目標のプロを目指し、

 

人一倍練習に打ち込み続ける直向きな姿勢で才能を開花。

 

大迫勇也選手は大好きなサッカーが上手くなりたい、

 

ただその気持ちで邁進していた結果が、

 

現在の世界で活躍できるアスリートになることができたのでしょう。

 

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