平成の怪物のここまでの成績は??
松坂大輔
時代の象徴として、球界の席巻した偉大な選手。
日本、そしてメジャーで活躍した平成屈指の大投手には、
現役生活の終わりが近づいている。
しかし、誰もが魅了された現役生活。
今回は平成の怪物、松坂大輔投手の日米での活躍ぶり、通算成績をPICKUP!!
目次
松坂大輔投手のWiki的プロフィール

名前 松坂大輔 (まつざか だいすけ) Daisuke Matsuzaka
出身地 東京都江頭区
生年月日 1980年9月13日(38歳)
身長 180cm
体重 93kg
ポジション 投手
松坂大輔の成績は?? 西武時代・メジャーの通算成績をPICKUP!!

球界の歴史に名を刻み、時代の頂点を極めた豪腕
松坂大輔
平成の怪物と称された最高の逸材。
時代の象徴、平成という時代を彩った最高のスター選手。
そんな野球ファンを魅了した平成屈指の最高の選手は、
現在ではプロ野球選手として晩年を迎え、
引退のふた文字を背負いながら現役生活を続けている。

しかし、未だその人気は球界屈指を誇る。
そう。誰しもが松坂大輔という存在のプレーに、魅了されたものだ。
躍動感あるフォームから150キロを超えるストレート、
そして多彩な変化球を武器に球界を席巻。
マウンド躍動する姿には野球少年なら、誰しもが憧れた。
球界の頂点を極めた男の最後の勇姿が迫っているということ。
しかしながら、時代の流れは早いものだ・・・・。
おっと、話が脱線しそうなので・・・・・
今回はそんな球界を屈指のスター選手、松坂大輔投手の日米での成績、
ここまでの通算成績や活躍ぶりをPICKUPしていきましょう。
平成の怪物

松坂大輔投手は神奈川県の強豪、横浜高校出身。
横浜高校3年生の時に、甲子園春夏連覇を達成。
甲子園のスーパースターとして、鳴り物入りのプロ野球界へ。
1998年のドラフト会議では3球団の競合の末、西部ライオンズへ入団。
甲子園の沸かせた怪物のプロ入りは世間を沸かせ、高校時代から続く松坂フィーバーは、
プロの世界へ入ってからも変わらないほどの人気ぶり。
衝撃だったデビュー戦。

そんな平成の怪物、松坂大輔投手は、高卒新人として開幕一軍を勝ち取ると、
プロデビュー戦では最速155キロを投げ、
野球をファンが度胆を抜くデビューを放ち、プロ初勝利。
プロ一年目から怪物はプロ野球界を席巻。
プロ1年目24試合に登板し、16勝5敗 防御率2.60と好成績をマークし、
33年ぶりの新人王を獲得。
45年ぶりの高卒新人として最多勝。そして、高卒新人としてゴールデングラブ賞、ベストナインを受賞するなど、
圧巻の成績を残し、高校野球スターは一気にプロ野球でもスター選手へ。
西武時代はスーパースター

怪物の勢いはとどまることを知らない。
続く2000年は14勝、2001年は15勝と、
高卒として初の快挙となる3年連続最多勝をあげるなど、
一気にスターダムへ駆け上がり、球界の頂点に。
その後も、2002年は右ひじのけがにより6勝に終わるも、2003年は完全復活を果たし、16勝を挙げ、
2004年は10勝、2005年は14勝、2006年は17勝をマーク。
2003年から2006年まで4年連続二桁勝利。
そんな2006年には第一回WBCのエースとして、日本の初優勝に立役者として大活躍。
大会後の2006年シーズンは自己最高の17勝を挙げ、

球界を代表するスーパースターとなっていた松坂投手。
平成の怪物の西部ライオンズ時代は8年間で108勝、
タイトルも総ナメ、沢村賞1回、最多勝3回、最優秀防御率勝2回、最多奪三振4回、
新人王、ベストナイン3回、ゴールデングラブ賞7回、
素晴らしい実績を作り、満を持して憧れのメジャーリーグの舞台へ。
西武時代に確固たる成績を残し、
憧れのメジャーリーグ挑戦を表明した松坂投手。
ポスティングシステムでメジャー屈指の名門、ボストンレッドソックスへ移籍。
交渉権獲得金額は、当時のレートで約60億円と破格の交渉額となり、のちにダルビッシュ投手が更新することになるが、話題を呼んだ。
怪我に泣いたメジャーでの日々。

平成の怪物、松坂大輔投手の人気は日本を超え、メジャーリーグでも話題を独占。
松坂投手はメジャー1年目、15勝を挙げるなど、翌年は18勝を挙げるなど、
チームをワールドシリーズ制覇に貢献。レッドソックスの主戦投手の一人として奮起。
移籍したメジャーの舞台でも素晴らしい活躍を見せ、
今後も屈強な強打者が集まる世界最高のリーグで大活躍してくると期待は高まっていたが、
その後はけがに泣かされ、右ひじにメスをいれるなど、
不本意なシーズンを送る日々。
その後6年大型契約を結んでいたレッドソックスからインディアンス、
そしてメッツでプレー。
怪我により2年目以降は期待されたような活躍はできず。
メジャーでは実働2年という寂しい結果となり、
2014年に憧れのメジャーリーグでのプレーは最後となった。
https://images.app.goo.gl/DMtsUHvURa2RxfRXA
松坂投手はメジャーでは8年間プレー、56勝と寂しい結果となった。
その後、日本球界へ復帰。2014年オフに福岡ソフトバンクへ入団。
しかしながら、メジャーでけがに泣かれるづけた松坂投手は、3年契約で移籍したホークスでもけがにより、二軍暮らし。
ソフトバンクホークスでは一軍登板は2016年の1試合のみ。
高額な契約でのホークス入団だっただけに、厳しい声も上がるなど、2017年にホークスを退団。
昨シーズン、2018年中日ドラゴンズへ。
6勝を挙げ、復活を見せるなど、カムバック賞を受賞。

しかしながら、2019年は再びけがにより、厳しいシーズンとなっている。
松坂投手はここまで日米での成績であるが、
NPB10年 216試合 114勝64敗 1459.0回 奪三振1408 防御率2.99
メジャー8年間 132試合 56勝43敗 投球回790.1 奪三振406 防御率4.44
プロ生活18年で積み重ねた勝ち星は日米通算170勝。怪我が多かったとはいえ、素晴らしい通算成績と言えるだろう。
しかしながら、怪我に泣かされ続けた現役生活。

ライオンズ時代は華々しい活躍ぶりで球界を席巻したほど、際立った活躍、好成績を連発していただけに、その後の活躍ができなかったことは寂しい限り。
その後、メジャー挑戦して実働2年だけ。その後は怪我。
20代後半から長い怪我との戦いであり、
20代前半がピークという寂しい活躍ぶりとなっている。
ライオンズ時代は実働8年間で108勝を挙げるなどすばらしい活躍であっただけに、
レッドソックスで18勝を挙げた2008年以降は成績は下降し、
その後10年間も怪我との戦い。
やはりそこまで怪我に悩まされた現役時代の原因は、
10代からの投げすぎによる疲労の蓄積だろう。

しかしそんな一人投げ抜く姿、
平成屈指の豪腕はマウンドで躍動し、
一人でマウンドで戦う姿には誰もが魅了されたもの。
高校時代から1試合250球以上を投げる姿は確かに野球ファンの虜にした。
その代償は大きく、あまりに早かった。
若くして怪我で衰退していく姿は辛いものだ・・・・・。
平成の怪物のゲガともに歩んだ現役生活となっている。
しかしながら、やはり怪我がなかったらと考えてしまうこともある。
メジャー時代の怪我がなければ・・と思ってしまう野球ファンも多いはず。

現在は日米通算170勝。
怪我でのこの成績なだけに、怪我がなければ、
200勝はもちろんのこと、250勝に迫るほどの成績を積み重ねた可能性は高い。
しかし、松坂大輔投手が見せれくれたマウンド上での姿、
誰もが魅了したのは間違いのない事実。
平成最高のスーパースターの一人である。

成績以上の存在感を発揮し、野球ファンを虜にし、現在でもその人気は絶大。
そして成績が全てではない。松坂大輔という男のプレーには夢があった。
記録より記憶に残る存在。
平成の怪物の現役生活は限られて時間しかないかもしれない。
しかしながら、私たちはそのマウンドで躍動する姿を、
忘れることはない。
時代を象徴、平成の怪物。

その姿は永遠に語りづがれる。
ただ、もう少し、
その姿を。
マウンドで投げる姿を。
松坂大輔投手に関するまとめ
いかがでしたでしょうか。
平成の怪物、松坂大輔。
怪我に泣かされ続けて現役生活。
怪我もあり、不本意なシーズンが多かったのは事実。
しかし、成績は期待通りではなかったかもしれないが、
マウンドでの姿はまさにスーパースターであった。
平成屈指のタレントを誇る偉大な選手には
引退が近づいているが、
最後の勇姿を見たい。
まだ終わったわけじゃないが、
もう一度、豪華ないピッチングを見たい。
それだけが松坂大輔を愛するファンの最大の気持ちだろう。
最後の勇姿を。
