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97年 4年連続首位打者
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97年は昨年と同様オープンスタンスで若干グリップの位置が高くなるが、
打率345を記録し、4年連続首位打者を獲得。
そして216打席連続無三振というプロ野球記録を樹立。
全く三振しないという異次元の存在へ成長し、この辺から首位打者とって当たり前、
イチロー選手なら当たり前というような雰囲気が定着していました。
97年の打率でも物足りないっていう状態でしたからね笑。
1997年シーズン成績・記録 135試合 打率.345 185安打 17本塁打 91打点 39盗塁
そして翌年98年はイチロー選手にとってターニングポイント、確立の年になる。
98年、5年連続首位打者、イチロールーテン確立
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98年からイチロー選手の代名詞となるバッターズサークルからの打席での一連のルーテンが完成する年になる。
今では当たり前な光景になってますが、
96年くらいからバットを立てる仕草を魅せ始めましたが、
打席に入る前の動きの動作は98年に確立したんですよね。
マジかっこよかったなー。
イチロー選手は過去2年間オープンスタンスだった打撃フォームをスクエアに戻し、そしてグリップを顔の位置まで高く上げるフォームに変え、
そしてバッティンググラブも黒に変える。
この年は8月まで4割台に迫るほどのハイアブレージを維持していた。しかしシーズン8月以降失速したが、
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それでも打率358と異次元のパフォーマンスを魅せ続け、5年連続首位打者を獲得。
球界のスーパースターとして当時の最高年俸である5億円に突入。
1998シーズン成績・記録 135試合 打率.358 181安打 13本塁打 71打点 11盗塁
名実ともに日本スポーツ界の顔になったと言ってもいいだろう。
99年、6年連続首位打者、さらなる覚醒へ
毎年のように首位打者を獲得し、日本プロ野球のスーパースターとして君臨するイチロー選手は、
99年はシーズン前の秋季キャンプにシアトルマリナーズの練習に参加する。
キャンプ地であるアリゾナでTボーンステーキを食べて、食当たりにあったことが話題になるレベルに笑。その影響もあり、メジャーキャンプでは不本意な形で終了。
この年は昨年までの打撃リフォームより若干グリップが下がり肩の位置まで下がりコンパクトな構えになる。
開幕から低調なスタートであったが、
プロ野球史上最速での1000本安打。
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5月までコンディションが上がらなかったが、その後は大爆発。打ちまくり、
オールスター前までに前半戦で打率は驚異の.370台、ホームランも19を放ち、
マジ驚異的なペースで打ちまくっていました。
この時はシーズン終わる頃にはとんでもない成績を残すんじゃないかと思いましたね。この年は本当に凄みが半端なかったです。
そしてオールスターでは99年にプロデビューで20勝する上原投手から、バックスクリーンにホームランを放つ。
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上原投手は初対決。イチロー選手は当時上原投手のボールの勢いに、1球目のストレートをみた際に、おっ!!これは!!とびっくりしたと語っています。
イチロー選手がびっくりするくらいでしょうから、デビューシーズンに20勝上げるのは納得ですよね。
一打席目、追い込まれてのフォームをボール、仕留めてのバックスクリーンへのホームラン。
99年は前半戦だけでとてつもない成績でもう手がつけられない状態でしたね。
おっと、忘れてはいけないのが99年のハイライトの一つを紹介。
怪物、松坂投手と初対決。
1打席目、外角高めのストレートに空振り三振。
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2打席目、外からのスライダーに対応できず見逃し三振。
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三打席目、スライダーに反応するも空振り三振。
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初対決で衝撃の3三振。当時、5年連続首位打者だった日本最高の打者をねじ伏せた。
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試合は土曜の昼で試合が珍しく試合が生放送されるくらいの注目の試合でした。
イチロー選手が珍しく、首を傾げながら悔しそうにベンチに帰っていくのを強烈に覚えています。
しかし、お返しとばかりに松坂投手から100号ホームラン。
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プロ通算100号をバックスクリーン左横に打ち込むホームラン。初対決で苦戦していたスライダーを見事に仕留める一打。
やられっぱなしではないのがさすがスーパースター。
常に野球ファンを想像以上のプレーで楽しませてくれる最高のエンターテイナー。
8月に入り、好調をさらなる成績を残すのではないかと期待されたが、少し不調に。
さらに右手甲にデッドボールを受け骨折。
そのまま離脱しシーズンを終了となるが、それでも打率343を残し、6年連続首位打者を獲得。
この年は怪我がなければ打率はいつものことだが、ホームランも30本以上打つことができたのではないかというくらいのペースで打ちまくっていましたからね。
イチロー選手が怪我の中、松井稼頭央選手が好調を維持し首位打者に迫っていたが、結果打率330までしか届かなかった。
今、こんな選手います??やばすぎでしょって感じですよ笑。
1999年シーズン成績・記録 103試合 打率.343 141安打 21本塁打 68打点 12盗塁
怪我で途中離脱するも、その実力は群を抜いており凄みを増している。
日本最高の選手へ
2000年、7年連続首位打者、8月まで4割に迫るペース
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そして2000年はそれまでの振り子打法と言われた動作を省略し、足の動きをコンパクトに。
メジャー挑戦を意識したフォームに変えシーズンに臨む。
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シーズン序盤から4割台を前後するほど例年以上に打ちまくり、シーズン自己最高打率3割8分7厘を記録。
シーズン終盤に右脇腹痛により2年連続怪我で離脱するが、
7年連続首位打者を獲得。
前人未到の記録し続けたイチロー選手は
兼ねてからの夢である
憧れのメジャーリーグ挑戦を表明した。
2000年シーズン成績・記録 105試合 打率.387 153安打 12本塁打 73打点 21盗塁
イチロー選手のオリックス時代のまとめ
いかがでしたでしょうか。
知っている人は知ってることですから、オリックス時代のすごさって改めると凄まじすぎましよねー。
こんな選手はもう出てくるのって感じですよ。
当然7年首位打者を獲得するってすごいことですが、
何がすごいって日本時代の通算打率353という驚異的な記録。
そして首位打者獲得すべて3割4分以上という事実はやばい。
それもイチロー選手が3割4分台だとで物足りないみたいな感じでしたからね。
本人も日本でのモチベーション維持も難しくなっていたとの事だし、
イチロー選手なら当たり前って、皆、麻痺してましたよ、本当に笑。
日本プロ野球の歴史を塗り替え、
その特異性溢れる個性で野球の常識を超えた存在だったイチロー選手。
打つだけじゃなくて守備も走塁、全てにおいてハイレベル。
そのプレーは華麗で美しい。スーパースター。
いまだかつて彼を超える存在はまだ現れていない。
大谷翔平選手と言う次世代のスター選手が出てきてはいるが、
やはりイチロー選手ほどの影響力を超える存在ではない。
もう2度とこのような選手が現れるかもわからない存在。
僕たちは彼を現役時代を見れる時代に生まれたことを幸せに思います。
イチロー選手のメジャーリーグ編はまた改めて紹介させて頂きますので、
ここまで読んで頂きまして、ありがとうございました。