高校時代から天才だった。
いやもっと言えば生まれた時から天才でした笑。
ダルビッシュ有
今やメジャーリーグという野球の最高峰の舞台で闘う男は
日本史上最高の投手の一人であるが、
やはり高校時代から別次元だった。
今回はダルビッシュ有投手の高校時代の活躍、高校の成績をPICKUP!!
目次
ダルビッシュ有投手のWiki的プロフィール

名前 ダルビッシュ有 (だるびっしゅ ゆう) Yu Darvish
出身地 大阪府羽曳野市
生年月日 1986年 8月16日 (33歳)
身長 196cm
体重 約100kg
ポジション 投手 (スターター)
ダルビッシュの高校時代 異次元の天才
日本最強投手の高校時代とは

彼こそ最高で最強の投手。
怪我の影響もあり、
以前は彼はスロットマシーンのようだが・・・完全復活。
ダルビッシュ有
完璧という言葉が一番似合う存在。
メジャーでも最高の投手になりつつ投手。
圧倒的なパフォーマンスを誇った快刀乱麻のピッチングは本当に爽快。
ここで今回紹介していくのがダルビッシュ投手の高校時代ですが・・・・
皆さんもご存知ですよね。
彼が本物天才であることを・・・・・。
幼き頃からエリート街道を歩んできた最高の才能の持ち主であったダルビッシュ投手。
もちろん、高校時代からそのすごさを誰もが知っている人も多いですが・・・・
いや〜異次元すぎるでしょ、やっぱり笑。
天才と言うものは常識や枠に収まらないんですよね。
彼の高校時代はまさに規格外でした・・・・・。
今回はダルビッシュ投手の高校の成績や活躍ぶり、
規格外の天才の高校時代を振り返っていこうじゃないか。
ダルビッシュ有投手の高校時代を振り返ろう。
規格外の天才

ダルビッシュ有投手は、宮城県の東北高校出身。
東北高校は野球の東方地方、有数の強豪校。
ここ数年は仙台育英高校のイメージだが、ダルビッシュ投手が在籍した頃はプロ入りする選手も多く、強かったですよね。
そんな野球の強豪校に進学するダルビッシュ投手は、
中学時代から天才として有名。
中学時代からずば抜けた才能は有名で、
当時から中学3年生の時点で球速144キロをマーク。
そして驚くのが変化球。
変化球は中学生の時点で7〜8個すでに習得しており、
当時はまだマイナーであったツーシームすらすでに完璧にマスターしていたという。
はい天才です笑。
そんなダルビッシュ投手は高校に入って、
技術的な練習は一切していないという天才ぶり。
天才って言われてる結構いますが、
ダルビッシュ投手は高校時代からではなく、
野球を始めた時から正真正銘の天才でした。
中学時代からズバ抜けた才能を持ち、また自ら描いたことを思うように実現できる器用さ、ずば抜けた具現化力を誇っており、
中学時代には投手としてはすでに完成されていたわけだ。

末恐ろしいw。やはり物が違った。ダルビッシュ投手は本物の天才なのかもしれない。
常識にとらわれない思考の天才

ダルビッシュ投手には、数多くの強豪校からの誘いから東北高校を選択。
入団した東北高校では1年生の秋からエース。
2004年の秋の明治宮大会で全国デビューした際は、
いきなり12奪三振を奪い、最速147キロをマーク。
1年生とは思えないほどのパフォーマンスでその存在を轟かせ、最高の才能を持ったダルビッシュは早くも才能を遺憾なく発揮していた。
ダルビッシュという才能は野球史上トップクラス。
その当時から存在自体突出しており、才能、考え方、全てにおいて規格外。
ダルビッシュ投手の本当のスゴさは身体能力だけではなく、思考力。
高校野球という枠には収まらない異次元の存在であった。
当時のチームメートも、野球選手としての才能はもちろんだが、
ダルビッシュ投手の1番の才能は能力ではなく、考え方。
自分を貫ける強さ、信念であると語っている。
高校野球の常識を超えた異端児

「高校野球はこうであるべきだ」という独特の縛りや風潮がある中、
ダルビッシュ投手は、高校野球の常識、いわゆる空気感から逸脱、
暗黙のルールを気にしない自由さがあった。
自分の考えを持っており、自分にとって必要のない練習は休みなど、
当時、成長痛に苦しんで独自の調整を監督から許されていたこともあるが、
やらないことも選択の一つだと考えることができる、信念を貫ける強さがあり、
セオリーから普通に外れることを気にしないが・・・・、
それを理解できない存在もたくさんいた。

そしてズバ抜けた才能を持った天才は監督から、
独自の調整法を許可されていた監督のとの特殊な関係もあり、
集団行動が基本とされている中、我が道を行くダルビッシュ投手は周囲と摩擦が生まれてしまう異端児として、距離を置かれることもあったほど。
高校野球という枠から外れた、全てにおいて、別次元でズバ抜けた存在であった。
しかしダルビッシュ投手自身は、独自の調整法を許されていたこともあり、
その状況下でいかに成長できるかを自分が考えることをフォーカスしていた。
自分で考えて練習を決め、いろんな可能性から、自分に合う練習を選択できる考える力があった。
高校時代はポール間の以上の距離を走ったことがないという。2週間キャッチボールしないなどの逸話がある。
しないという決断が取れるの才能、考え方も高校生離れ、
そのスタンスが高校野球という空気感、いうの中で浮いた存在になってしまうきっかけになっているが・・・
しかし、それだけ周りが理解できないような才能を持っていたわけだ。
そして、成長痛で苦しんだ高校時代。
成長痛もあり、特に練習も何もしていないと語っているだけに、中学には投手として基盤ができており、ダルビッシュは本物の天才だった。
そして、天才は徐々にその才能を世に見せつけ始め、全国を席巻する。
天才は甲子園の舞台へ

そのスバ抜けた才能は高校野球の舞台でも、やはり輝きを放つ。
投手としての才能は高校時代の松坂大輔を超えると言われている。
ダルビッシュ投手は、
しなやかなフォームから、キレのあるストレートは最速150キロ。
そして中学時代に身につけた多彩な変化球。

当時、成長痛に苦しんでいたとは思えない、マイナス要素がある中、ダルビッシュ投手は、状況に応じて、対応できる器用さを誇った。
やはり当時から物が違った。

ダルビッシュ投手の器用さはやはりスバ抜けており、
ボールを離す、リリースの瞬間に、
握りを変えたりできる繊細さがあるなど、
まさに別次元だ。
天才は全国区のスター選手へ

そんなダルビッシュ投手は甲子園に4度度出場。
2年生の夏には決勝まで進出、
そして3年の春には甲子園ではノーヒットノーランを達成するなど、
すぐさま全国的にもスター選手として注目の存在になっていた。
ケロッとした気だるいような態度だが、投げれはその凄さは一目瞭然。軽々とやってのけるその天才ぶり。
高校三年生の夏の甲子園大会では3回戦で白熱の試合を演出。

緊迫した試合で勝ち越しタイムリーを打たれたが、なぜか清々しいほどの爽やかさ。
この試合で敗れ敗退するのだが、最後の打者となったダルビッシュ投手は、ケロッとしていた・・・
最後の甲子園での姿は次のステージを見据えていたのだろうか・・

当時からやはり他の高校球児とは景色が違ったのだろう。
ダルビッシュ有投手の高校時代の成績は、
高校通算
登板67試合 投球回332 1/3 奪三振375 防御率1.10
そして4度出場した甲子園では、
甲子園の通算成績は、
登板12試合 完投7 完封4 投球回92 奪三振877勝3敗 防御率1.47、
凄まじい高校時代の成績。

成長痛もあり、練習をしていないとはいえ、やはり天才だった。
当時は天才と同時に生意気さもあったダルビッシュ投手。
現在は人間的にも周囲のことを理解できるようになり、高校時代は監督やチームメートにも感謝の気持ちを表している。
特に当時、成長痛で苦しんでいたダルビッシュ投手に独自の調整法を許可し、練習、起用法も含めて、寛容的な配慮で、常に気にかけてくれた監督、
ダルビッシュの将来のことを考えてくれたこと、

そしてチームメートに自分みたいなのがキャンプテンで申し訳なかったと、のちに感謝の気持ちを語っている。
自由に調整を許可されることのない、ザ・高校野球という強豪校であれば、現在のダルビッシュ投手はいない。
素晴らしい才能を潰れて行くことをある環境もある中、巡り合わせというものは本当に大切ですね。
その後、高校野球のスター選手としてプロの世界へ。
プロの世界での抜きん出た天才ぶり

日本ハムに入団し、一躍プロ2年目から日本を代表する投手へ。
もともとの天才ぶりにプロ入り後の向上心が増してしまったのなら、
その才能を止められるわけがない。
その後の活躍ぶりは言うまでもない。
日本最高級のスーパーエースとなり、野球の最高峰の舞台へ。
メジャー移籍後は怪我に泣かされ、不本意な時を過ごしていた時期もあるが、
間違いなくその才能は、野球史上最高の天才。

高校時代のダルビッシュ投手を知れば、本物の天才だと、いかに彼がスペシャルであることを理解できる。
現在のダルビッシュ投手は人間的にも成長し、高校野球へのあり方に発言するなど、
高校生という一人一人が持つ、この才能を活かし、練習を選択できる環境づくり、
型にはめがちな野球界への警鐘を鳴らすなど、時代によって変化して行くことの大切さを積極的に発言をしている。
それを中学時代からその才能を発揮していたとは・・・
やはり天才だ。

怪我もあったが、野球史に残る大投手への道を歩んでいるダルビッシュ投手。
日米通算200勝へ。
腐るにはまだはやい。
そう思わせるほど、高校時代から強烈な存在で、
まさに異次元の天才だった。
ダルビッシュ有投手の関するまとめ
いかがでしたでしょうか。
高校時代のダルビッシュ投手、
最高の才能を持った選手であった。
やはり高校時代の成績は凄まじい。
その後、日本最高級の投手になるのは納得だ。
現在は、怪我もあり、苦しんでいるが、
まだまだこれから。
完全復活を期待している。
