高校時代は無名の存在!?
そして育成から這い上がった豪腕。
千賀滉大。
今や、球界屈指の豪腕であり、最高の選手に一人。
しかし、高校時代は全くの無名。
そんな選手がなぜドラフト指名・・・、
そして、いかにして球界のスター選手へと駆け上がったのだろうか。
今回は福岡ソフトバンクホークスの千賀滉大投手の高校時代をPICKUP!!
目次
千賀滉大投手のWiki的プロフィール

名前 千賀滉大(せんが こうだい) Kodai Senga
出身地 愛知県蒲郡市
生年月日 1993年1月30日 (26歳)
身長 186cm
体重 84kg
ポジション ピッチャー
千賀滉大 高校時代は無名!? なぜドラフト指名されたのか
鷹のエースの高校時代とは

今や、鷹のエースは球界の顔へ。
千賀滉大
豪快なストレートと落差の大きいフォークボールは圧巻。
2019年さらなる凄みを増した男は、
開幕戦で最速161キロを投げ、
そして史上80人目のノーヒットノーランを達成。
まだ26歳の若武者は、球界最高の投手への階段を着実に駆け上がっている。
これから球界最高の投手、いや、球界の顔になるべく、さらなる高みを目指している。
今や、押しも押されもせぬソフトバンクホークスのエースだ。
球界最高峰のスターターである千賀投手は順風満帆の野球人生と思われがちだが、
千賀投手は意外にも野球エリート街道を歩んできたような選手ではないことは、ご存知の方は多いのではないだろうか。
学生時代から高校野球界で名を轟かせるような活躍してきたわけではなく、
プロ入りも育成出身という、そう無名の存在。
現在球界のエースになりつつある男はいかにして、現在の立ち位置まで登りつめることができたのだろうか。
今回は千賀滉大選手の無名だった高校時代をPICKUPしていきましょう。
無名だった高校時代

現在は鷹のエースであり、球界屈指の投手である千賀滉大投手。
しかし、幼い頃から投手一本ではなく、
セカンド以外全部プレー経験があるなど、投手とは無縁。
そして、蒲郡中学時代は成長痛により、ほとんどプレーできなかった。
現在は球界屈指の剛腕のイメージですが、投手として名を馳せたような存在ではなかったことは現在のイメージと変え離れており、意外ですよね。
そして千賀投手は高校は地元愛知県の愛知県立蒲郡高校。
野球の強豪校ではない高校に進学した千賀投手は、本格的に投手としてプレーするようになったのは高校からと遅め。
中学時代、成長痛によりプレーできなった千賀投手は、
身長は高校入学時は176センチと高めだが、入学時は最速120キロ程度。
しかし、高校時代の千賀投手は成長するために努力を惜しまなかったという。
一方、進学した蒲郡高校の野球部は部員を集めるのが精一杯のレベル。
高校時代の千賀投手は高校野球で試合をすることすら大変な環境であり、当然甲子園とは無縁。
甲子園はテレビで見るものと思い、千賀投手自身も本気で甲子園を目指すような感覚ではない環境。
そんな無名の存在であった千賀投手は、なぜプロ入りすることができたのでしょうか。
出会いにより導かれたプロ入り。

高校時代は部員が添えわないような環境の中で、部員の中で肩が強かったことから始めた投手。
そして千賀投手は現在のような球界屈指の選手となれたのは、
人との出会いによるものだと語っており、
愛知県のスポーツ用品店の店主である西川正二さんがきっかけ。
西川さんは高校時代の千賀投手が持つ潜在能力を見抜き、いい素材であることを認知。
長年の感覚により、いい選手を見分ける力をあった西川さんはホークスのスカウトが西川さんがいい選手がいるから一度見に行ってみたらと言われたこときっかけ。
長年地元スポーツ店で高校野球との繋がりがあったことから、西川さんはたくさんの高校球児を見てきたのでしょう。
当時、高校時代の千賀投手はスカウトが来ていたことに、なぜ自分に?と思うほど、疑問を感じるほどであり、
当時はまだ愛知県でも無名であり、高校3年間で実績もない千賀投手。
しかし実績はなかったものの、高校3年間で努力を続けた千賀投手は、
高校3年生の時には身長も183センチ、体重76キロへと成長痛が癒えた身体は高校生としては恵まれた体格へと成長。
そして、地道な努力により、高校入学時は120キロ台だった球速が、最速144キロをマークするなど、球速が20キロ以上のアップ。
高校3年生の時点で成長を遂げていた千賀投手には、愛知県内の大学や静岡県内の大学が興味を示すような存在となり、
高校時代の千賀投手は、徐々に世間の評価を上げるような存在に成長していた。
スポーツ店の店主から薦めにより、
ちょっとした出会いにより導かれたプロの世界。
スポーツ店の店主からの薦めといえど、ソフトバンクのスカウトは高校時代の無名な存在であった千賀投手のピッチングを見て、感じるものがあったのでしょう。
千賀投手は将来性を買われて育成であったが、プロ入りを果たすことに。
2010年育成枠ドラフト4位。
育成枠という高い評価というわけではなかったが、まさに驚きのドラフト指名となった。
驚きと同時に素直に嬉しい気持ちを感じた千賀投手。
育成というスタートながらも、予想にもしなかったプロの選手への切符。
迷わずプロへ進むことを選んだ。
無名から這い上がった豪腕。

プロ入りのきっかけがスポーツ店の店主がスカウトへ進めたきっかけというなんとも予想にもない展開からのプロ入り。
2010年ドラフト育成枠4位からプロの世界へ。
高校時代、無名ながら夢のプロ野球選手の切符を掴む。
千賀投手が指名された2010年のドラフトでは現在、球界の顔に成長した山田哲人選手(履正社)、そして球界屈指のヒットメーカー、秋山翔吾(八戸学院)、
そして高校時代、甲子園のスターとして大活躍し、早稲田大学へ進学していた斎藤佑樹投手、
2010年のドラフトは華々しいほどの逸材が揃う豊作の年。
千賀投手はソフトバンクの育成4位という形でひっそりプロの世界へ。
ひょんな事からプロの切符を掴み、千賀投手はとにかくプロ野球選手として、テレビに出るような選手になりたいとがむしゃらに邁進していた。
入団してからは体幹トレーニングや、フィジカルトレーニングを重点的に行い、プロレベルの身体を手に入れたことにより、
身体的な強さを手に入れたことにより、一躍飛躍。
プロ2年目、シーズン途中に支配下選手になり、中継ぎとして51試合に登板。
2016年には12勝をマークし、大ブレーク。2016年から4年連続二桁勝利をあげ、
現在は押しも押されもせぬホークスのエース。
2年連続開幕投手、そして3年連続日本シリーズ開幕投手、
大役を務めるほどの存在に成長している。
今やメジャーが一番欲しい存在へ

高校時代、無名だった存在は今や、球界のエース級の存在。
高校時代騒がれた高校野球界のスター選手が、活躍するとは限らないのがプロの世界。
ドラフト会議を沸かせるスター選手たちでさえ活躍することは限らない・・・。
千賀投手はスター選手より不利な状況でも諦めず、自らの目標を叶える為、
地味な努力により、自らの才能を開花させた。
現在は、本当に素晴らしいほどの選手へと成長したと言ってもいいだろう。
まだまだ年齢的にもこれから成長過程。
現在はメジャーも注目するような、偉大な投手への階段を駆け上がっている。
今やメジャーが一番欲しい選手、喉から手が出るほど欲しい存在だ。
球界屈指の剛腕となった千賀滉大投手。
まだまだこれから。
もっとすごい投手へ成長することだろう。
球界のエース、そして世界屈指の投手の道へ。

その志は高い。
さらなる高みへ。
高校時代、無名から這い上がった豪腕。
無名の存在が、出会いに導かれ、
球界最高の投手への道はまだ夢の途中だ。
千賀滉大投手の高校時代に関するまとめ
いかがでしたでしょうか。
鷹のエース、千賀滉大投手の高校時代。
現在では球界屈指の投手へと成長した男は、
高校時代、全くの無名の存在。
しかし、夢を諦めなかった千賀投手。
出会いと自身に直向きな野球に対する取り組みがあったからこそ、
現在のスター選手となれたのでしょう。
本当に素晴らしい投手。
まだまだ年齢的もこれから期待の投手。
球界のエースになるのは時間の問題か。
それだけ、期待感があるほど、
素晴らしい選手に成長しましたね。
