2002年は自己最高の50号本塁打!!
ゴジラ最高のシーズン。
松井秀喜
日本最高のホームラン打者の一人、
2012年に現役を引退した名スラッガー。
特に輝きを放った2002年シーズン。
今回は松井秀喜氏のハイライト、50号本塁打を放った2002年をPICKUP!!
目次
松井秀喜選手のWiki的プロフィール

名前 松井秀喜 (まつい ひでき) Hideki Matsui
出身地 石川県能美市
生年月日 1974年6月12日 (44歳)
身長 188cm
体重 95kg
ポジション 外野手
松井秀喜 ホームランを50本を放った2002年をPICKUP!!

平成最強スラッガー
松井秀喜
2012年に現役を引退。
日本、アメリカメジャーリーグで大活躍し、
球界の歴史の名を残す偉大な選手。
強烈なスイング、豪快なホームランで野球ファンを魅了し、
現役を引退した今もなお、球界のスター、

そして日本プロスポーツ界に大いなる貢献を話したレジェンド。
松井秀喜氏といえば、やはりホームラン。
現役時代、日本人離れしたパワーから特大ホームランを連発し、
日米通算507本塁打をマークした。
強烈なスイングを誇ったホームランの凄さは、
https://images.app.goo.gl/uX64SEMtdb2qEpDd6
忘れることができないほど、すごいものであった。
そんな松井秀喜氏が現役時代、最もホームラン量産したシーズンが2002年。
そのホームラン数は前人未到の50号本塁打をマーク。
松井秀喜氏がメジャーでプレーする前年であり、
驚異的なホームランを連発した強烈なシーズン。

2002年は自己最高の成績を残したシーズンである。
今回は松井秀喜氏の現役時代のハイライトの一つ、2002年シーズンをPICKUPして行きましょう。

シーズン50号本塁打を放った2002年は、
ジャイアンツラストイヤー。
2002年は松井秀喜氏のプロ10年目のシーズン。
それまで松井秀喜氏は星稜高校から名門、読売ジャイアンツへ入団。
高校時代から超高校級スラッガーとして、甲子園を沸かせたスラッガーして大活躍。
鳴り物入りでプロの世界へ。

プロ一年目から11本塁打を放ち、期待のスラッガーとして躍動。
プロ4年目には1996年シーズン38本塁打、翌年1997年37本塁打、
そして98年、34本塁打 100打点で初の二冠に輝き、
20代前半にはすでに球界最高の強打者の仲間入りを果たす。
ジャイアンツの顔として、球界の顔として、毎年のように豪快なホームランを積み重ね、
1999年には初の40本塁打の王台、2000年には2年連続40本塁打。
2001年には初の首位打者を獲得するなど、

松井秀喜氏の存在は球界の最高のスターへと成長を遂げていた。
そして松井秀喜氏がもっとホームランを放つこととなる2002年。
プロ10年目、松井秀喜氏プロ10年間で毎年着実に成長を遂げ、
素晴らしい成績を残し、ジャイアンツの4番として、

すでに松井秀喜選手は球界を代表する存在となっていた。
シーズンが開幕し、夏場にはプロ通算本塁打300号を達成するなど、
28歳0ヶ月というジャイアンツの偉大な先輩である世界のホームラン王、王貞治氏に次ぐ歴代2位のスピード記録での達成。
12000試合での300号達成は歴代6位と、
素晴らしい実績を積みかさねていた松井氏であったが、
2002年シーズンは意外にも、夏場オールスターまで18本塁打と、

例年よりホームランが少ない状態であった。
前年の2001年シーズンは初の首位打者を獲得たものの、ホームラン数は36本。
1999年と2001年は2年連続40本塁打を放ち、やはり松井秀喜選手への期待は特大のホームラン。
2001年の36本塁打は立派ではあるが、
松井秀喜というスラッガーとしては物足りない数字であり、
2002年シーズンも2001年同様、ホームラン数が伸びていない状況。
しかし後半戦、、ホームランを量産することになる。
オールスター後から突如、覚醒し、ホームランを連発。
7月は打率.379 11本。続く8月は打率.402 13本、
夏場にゴジラが大爆発。

豪快なアーチを描き、打点も7月8月の2ヶ月で49打点をあげるなど、誰も止めることができないほどの絶好調ぶり。
とどまることを知らないゴジラ。
一気にホームラントップに立ち、9月にも9本塁打を放つなど、
自己記録の42本をあっさり超え、
気がつけば、前人未到の50本の王台へ。
そして、シーズン最終戦。
豪快なホームランをレフトスタンドへ叩き込み、
史上8人目の50本塁打を達成。

日本人としては1986年の落合博満氏の50本の16年ぶり、そしてジャイアンツでは1977年の王貞治氏の50本、25年ぶりの50本の大台であった。
とにかく凄まじかった後半のホームラン量産。
松井秀喜氏は後半戦64試合で32本塁打を放ち、圧倒的な打撃で50本を記録。

2002年は終わってみれば、個人成績全てにおいて驚異的。
2002年シースン成績
144試合 打率.333 50本塁打 107打点
タイトルも首位打者は逃したもの、本塁打王、打点の二冠。最高出塁率。
そして3度目のシーズンMVPを獲得するなど、
28歳にして球界最強の強打者の仲間入りを話した。
松井秀喜氏は2002年のシーズンオフにFA宣言でヤンキースへ移籍し、メジャーリーグでも活躍。
ヤンキースの主力としてワールドシリーズMVPを獲得するなど、存在感を示したが、
やはり2002年は松井秀喜氏にとっても最高のシーズン。
現役時代のハイライトと言っても過言ではないほど、驚異的なシーズンとなった。
シーズン50本塁打はプロ野球の中でも8人しか達成できていない偉大な記録。
そして日本人として王貞治、野村克也、落合博満、小鶴誠、そして松井秀喜の5人しか達成していたない日本人にとって前人未到の大記録なのだ。
2002年に松井秀喜氏が50本塁打達成以降、誰もその領域にたどり着いたものはまだ現れていない。
2018年には西部ライオンズの山川穂高選手がシーズン48本塁打と放ち、
そして今シーズン2019年も驚異的なペースでホームラン量産し、2002年以来となる50本への期待が高まっていっているが、
50本塁打という領域への到達は至難の技と言えるだろう。
とにかく強烈なシーズンとなった2002年。
松井秀喜氏が2002年以降も日本でプレーしていたら、

どんな凄まじい成績を残していただろうか。
そう思わせるほど、ゴジラが大暴れした2002年。
偉大な記録を打ち立てた、
平成最強のスラッガーの勇姿は、
今もなお語られる伝説的シーズン。
そしてゴジラはメジャーへ。
松井秀喜氏に関するまとめ
いかがでしたでしょうか。
球界最高のホーランバッター、松井秀喜。
現役時代、素晴らしい実績を残してきたレジェンド。
メジャー移籍後、ヤンキースで活躍したが、
やはりすごかったメジャー移籍前の2002年。
シーズン50本塁打は松井秀喜氏の現役時代のハイライト。
それだけ際立ったシーズンであった。
