メジャーリーグでの日本人の評価を上げた偉大な二人。
イチローさんと野茂英雄氏。
日米で数々の偉業を成し遂げてきた日本が誇るスター選手。
そんな偉大な二人の対戦成績は??
気になる方いるんじゃないですかw^^??
今回は、メジャーの道を切り開いたレジェンド、野茂英雄氏とイチローさんをPICKUP
目次
イチローさんのWiki的プロフィール

名前 イチロー (本名 鈴木 一郎)Ichiro Suzuki
出身地 愛知県豊川市
生年月日 1973年10月23日
身長 180cm
体重 72kg
ポジション 外野手
野茂英雄氏のWiki的プロフィール

名前 野茂英雄(のも ひでお)
出身地 大阪府大阪市港区
生年月日 1968年8月31日
身長 188cm
体重 99キロ
ポジション ピッチャー
イチローと野茂英雄 対戦成績は?? 偉大なる二人!!
今回は日本が誇るべき偉大な二人、イチローさんと野茂英雄氏の特集。

二人が日本、メジャーリーグで残してきた足跡は今では伝説だ。
当時はまだ、メジャーリーグへの挑戦の前例は少なかった時代。
メジャーリーグは野球の最高峰のリーグ。
それは今変わらず普遍的なことで、野球をする者の憧れであり、
自然と世界最高のリーグに興味を持つのは普通なことなのではないでしょうか。
今や、メジャーリーグでも日本人の扱いが時代とともに変化。
特に2000年代に入り、日本人選手への扱いも変わってきましたよね。
30年くらい前までは、メジャーリーグは雲の上の存在というか、
全くレベルが違うものというくらいでしたからね。

当時の日米野球では日本人選手結構、コテンパンにやられていましたからねw
やはりメジャーリーグは選手の個人個人のスケールの大きさは今も昔も変わらず豪快。
そのプレーに魅了された。

それも見たら、野球選手なら憧れを抱くのは普通なことでしょう。
現在はメジャーリーグには日本人選手がプレーするのは普通になり、
今やメジャーのチームの格を任せられるほど。

それだけ日本人選手の実力も上がり、今や普通のことになりつつありますね。
でも日本人がここまでメジャーリーグを身近にした存在がいるわけですよ!!
それは野茂英雄氏。

野茂しこそ、メジャーの道を切り開いたパイオニア。
当時、メジャーリーグへの移籍ルートが確立されておらず、
それに当時はまだメジャーリーグと日本プロ野球には大きなレベルの差があった時代。
そんな大きな壁がある中、
当時、野茂氏は日本人最高の投手であり、

所属していた近鉄バファローズを任意退団し、マイナー契約でメジャーに挑戦。
当時は野茂氏への批判的な声、メジャーに通用するわけがないと否定的な声が多かった中、厳しい批判にも屈せず、我が道を行く野茂氏。
マイナーから実力を示し、5月にメジャーに昇格。

豪華なフォーム、トルネード投法でメジャーの強打者たちをねじ伏せる圧巻の投球。
メジャー挑戦1年目からオールスターゲームで先発に抜擢されるなど、

シーズン奪三振賞を獲得するなど、圧巻のパフォーマンス。
野茂フィーバー、トルネード旋風を巻き起こし、アメリカ全土を席巻。
当時、メジャーリーグは前年のストライキでワールドシリーズが中止になるなど、
ファン離れが加速していた時に、メジャーの人気回復に大きく貢献したと言われており、
今でもメジャーリーグを救った存在として伝説的に存在として、その活躍が高く評価されている。
野茂氏本人はたまたま最初なだけだったと語っているが、

たまたま野茂氏が最初だったとはいえ、野茂氏の実力等あったからこそ当時の状厳しい状況の中、道を切り開くことができたのではないでしょうか。
その後、複数球団を渡り歩き、2度のノーヒットノーランを達成するなど、

その後の日本人選手のメジャーリーグ挑戦の礎を作った偉大なピッチャーだ。
野茂氏の活躍があったからこそ、その後の日本人投手が続々メジャーに挑戦。
間違いなく野茂氏の存在があったからこそ。
まさにパイオニアであった。

現在はメジャーでの日本人投手の評価は高い。
メジャーのローテーションに一角を任せらる実力を日本人選手は示している。
野茂氏の功績は計り知れない偉大なもの。
そして、野茂氏がメジャー挑戦してから6年後、
日本人最初の野手での挑戦し、
メジャーでもスーパースターとして君臨したイチローさん。

日本で7連続首位打者を獲得し、メジャーリーグに挑戦。
メジャーリーグで日本人最高野手の実力を遺憾なく、発揮。
ユニークな野球スタイルでヒットを量産、そして走攻守で華麗なプレーを連発し、アメリカを席巻。
メジャー1年目からタイトルを総ナメ。リーグMVPを獲得するなど、

日本人野手の実力を示してくれた。
イチローさんはその後も、メジャーのトップに君臨。
メジャーリーグでも大活躍をし、10年連続200本安打、10年連続ゴールドグラブ、10年連続オールスターゲームに選出、
メジャー通算3000本安打達成するなど、

メジャーでも圧倒的な実力を発揮。野球最高峰の舞台でも大活躍した偉大なる選手。
イチローさんもメジャーで日本人野手の評価を上げた第一人者と言ってもいい。
同年にメジャー挑戦した新庄剛志氏もメッツで大活躍。

新庄氏の活躍ぶりを忘れてはならないが、
やはりイチローさんが野手として最初の挑戦であったからこそ、
間違いなくメジャーリーグを身近な存在にしたことは間違いない。
その後は松井秀喜氏、井口資仁、城島健司、福留孝介など、

日本を代表する選手たちが続々メジャーに挑戦。

やはり野茂さん、イチローさんや松井秀喜さんの活躍により、
当時は日本人選手への評価がうなぎのぼり。
日本人選手が高額な契約を勝ち取るまでに。
その環境を作ったのは間違いなく、野茂氏とイチローさんでしょう。
野茂氏がメジャーでの道を開き、イチローさんが日本人への評価を確立させたのだ。
偉大な二人の日本人最高の選手。
この二人の功績は時が経てば経つほど、残してきた功績が際立ってくるでしょう。
そんな偉大な二人の対戦成績ですが・・・・・
だいぶ前置きが長くなってしましましたね。ていうか長すぎでしょw
いやいや、やっぱ書き出すと止まんなくなりますよね。好きなことって^^w。
メジャーで偉大な功績を残した二人は対戦機会はあまり多くはないんですよね。
野茂氏とイチローさんの初対決は日本時代の93年。

初対決で野茂さんからイチローさんはプロ初ホームラン。
まだブレークする前の年、登録名が鈴木一郎の時に放ったホームラン。
当時は野茂氏は4年連続最多勝をマークするなど、日本人最高の投手の人。そんな投手からライトスタンドに豪快に振り抜いた一撃。
イチローさんが大ブレークした94年。翌年には95年には野茂氏はメジャーに挑戦。
1996年の日米野球の際に、メジャーリーガとなった野茂氏といイチローさんは対戦経験も。

メジャーリーガーとなって凱旋。
この時の対決はイチローさんがセンター前にヒット。イチローさんはこの日米野球で大活躍し、
一躍メジャーでも注目の存在へ。

イチローさん自身もこの96年の日米野球の経験によりメジャーリーグへの想いを膨らますことに。
その後舞台をメジャーに移しての2001年の5月。
イチローさんとパイオニア野茂氏のメジャーで初対決が実現。
初対決は、2打数ノーヒット。

さらにイチロー氏へ背中にデッドボールなど、

当時は日本最高の選手同士の初対決に日本では大いに湧き、注目が集まりましたね。GW期間でしたらなおさらw。初対決のシアトルへのツアーが組まれるほど。
その後も複数回対戦。

あまり対戦することは本当になかったですが、最後は2008年。

二人のメジャーリーグでの対戦成績は,
12打数4安打、打率.333、1二塁打、1打点、1四球、1死球、2三振
対戦成績ではイチローさんが打っている印象ですが、対戦自体が自体が少ないんですよね。
やはりイチローさんが日本で活躍したすぐに野茂氏がメジャー挑戦していることもあり、
対戦成績はイチローさんが勝っていますが・・・、あまり機会が少なかったのは残念。
そして2008年のオフに野茂英雄氏が現役引退を表明。
そして11年後、メジャーで数々の偉業を成し遂げ、イチローさんも2019年に現役引退。
接点がすくなかった二人。もう少し対戦する姿を見たかった・・。
しかし、日本人の道を切り開いた野茂氏。

そして日本人野手の基盤を作ったイチローさん。

二人が残してきた功績はやはり計り知れない。
メジャーリーグを日本人にとって身近なものにしてくれたのは間違いない。
さらに、メジャーリーグの国際化が大きく貢献してくれたはずだ。
その偉大さはこれからもっと偉大なものになるはず。

偉大な二人。
イチローさんと野茂英雄さんに関するまとめ
いかがでしたでしょうか。
イチローさんと野茂英雄氏が残してきた功績。
偉大な二人の対戦成績はイチローさんに軍配していますが、
そんなことより!!、
二人が日本プロ野球への多大なる貢献は計り知れないもの。
本当に時代を彩った最高の選手でしたね。
そのこれまでの偉業はこれからも語り継がれるでしょう。
