今回は松井秀喜氏のメジャー成績をPICKUP!!
現役時代、日本最強の強打者として君臨したスラッガー
松井秀喜
移籍したヤンキースでも栄光の日々。
素晴らしいメジャー成績を誇る、
平成の象徴するプロ野球界のスーパースター、
ゴジラ松井秀喜氏のメジャー時代の成績や活躍ぶりを振り返っていきましょう。
目次
松井秀喜選手のWIki的プロフィール
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名前 松井秀喜 (まつい ひでき) Hideki Matsu
i出身地 石川県能美市
生年月日 1974年6月12日
身長 188cm
体重 95kg
ポジション 外野手
松井秀喜のメジャー成績は?? ヤンキースでの栄光の数々!!
ゴジラのメジャーでの功績を振り返ろう。
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日本時代は最強の強打者として、ヤンキースで大活躍し、
メジャーでも素晴らしい成績を残した松井秀喜氏。
今もなお、語り継がれる日本最高の伝説のバッター。
現在のプロ野球でも彼を超えるパワーヒッターは現れていない。
現在は現役を退いて時間が経ってはいるが、その人気は衰えていない。
日本、メジャーリーグをまたにかけて活躍した功績。
未だにスーパースターなのだ。
正直、現役のプロ野球選手たちより人気がある現状。それだけ、現役時代の活躍ぶりは凄まじいものだった。
特に日本時代は凄まじかった。
パのイチロー、セの松井という、当時にプロ野球の顔。
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スーパースターとして君臨し、ゴジラと称された存在感。
彼が放つ強烈なホームランは今も記憶に残っている。
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平成を象徴するホームランバッターは日本時代、ジャイアンツでも圧巻のパフォーマンス。
当時は心踊ったものだ。
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メジャー挑戦する2002年には、
打率.333 ホームラン50本を放ち、自己最高の成績を上げてのメジャー挑戦。
日本最強打者へメジャーの舞台へ
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松井秀喜氏はメジャー挑戦を表明して、名門ニューヨーク・ヤンキースへ移籍。
松井秀喜氏がメジャーに憧れを抱いたのは99年のオフ。
初めてメジャーリーグを観戦した松井氏。
ヤンキースタジアムで観戦したポストシーズンの試合。その試合の雰囲気の良さに圧倒され、
松井秀喜氏は自然とメジャーリーグに挑戦するなら、ヤンキースでプレーしてみたいと純粋に感じていた。
そんな日本最高の打者となっていた松井秀喜氏の獲得を狙っていたヤンキース。
今度こそ日本最高の選手の獲得を熱望していた。
松井秀喜氏もヤンキースへの移籍を希望していることもあり、ヤンキースへの移籍が実現。
憧れのメジャーリーグへの移籍が実現した。
日本最高の選手がニューヨークへ。当時はアメリカも沸いた。
アメリカでも大注目
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日本最高の強打者がどこまでメジャーの舞台で通用するのか。
2001年にメジャーに挑戦した日本最高の好打者、イチロー選手がメジャーで活躍したことにあり、
ここから松井秀喜選手のメジャー時代の活躍を年ごとに振り返っていきましょう。
松井秀喜のメジャー ヤンキースでの活躍を振り返ろう。
苦しんだムービングボール
日本からきた日本のパワーヒッターのメジャー挑戦。
どんな活躍を魅せるかアメリカでの注目が高まっていた。
オープ戦初戦からホームランを放つなど、
ヤンキースの主軸としての期待通りの活躍を見せ、名門ヤンキースでホームランを量産できるのか。日本では話題を独占していました。
シーズンでの活躍も大いに期待されての迎えた2003年シーズン。
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開幕戦初打席で初ヒット、初打点を記録。
そして、圧巻だったのが本拠地開幕戦。
いきなり満塁で特大のホームラン。
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本拠地ヤンキースタジアムで最高のデビューを飾る。
最高のデビューであった。
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いきなりのホームランに、ニューヨークのファンの心を掴む。
素晴らしい上々の滑り出しで、どんな成績を残すのか期待が高まったが、
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松井秀喜氏はメジャーの壁にぶち当たる。
メジャーリーグ特有の手元で動くボールに苦戦。
現在は日本でもいわゆるムービングボールを投げる投手は増えたが、当時はまだ日本では皆無に近い状況であった。
松井秀喜氏はプルヒッター。
引っ張りが得意なバッターだっただけに、徐々に研究され、外に動きボールを投げ込まれるようになり、
それにメジャーのストライクゾーンは日本よりもアバウトで広いため、見極めにも苦労する日々を送っていた。
松井選手も4月は良かったものの、
徐々にらしさ出せずに、ボールを引っ掛けてしまうなど見極めに苦労し。打撃不審に陥っっていき、メジャーでの壁に。成績も下降を辿った。
まだ慣れていないなどは関係なく、数字で評価される世界。成績が下降していく日々。
もちろんファンもメディアも黙っておらず、活躍を疑問視するような報道も増え、挙句の果てにはヤンキースのオーナーにすら、
ゴロキングと呼ばれるなど、
あんなパワーのない選手と契約して覚えはないと松井秀喜氏を批判。
5月はスランプに陥り、厳しい日々を送ってしまう。
しかしそんあ批判を受ける松井秀喜氏あったが、ヤンキースの現場は違った。
真摯に野球に向き合う姿勢により、一緒にプレーする監督や選手たちは松井選手を評価し、慣れない環境でプレーして頑張っている姿もありフォローしていた。
そして6月に入り、スランプから抜け出し復調する。
それまで打席では日本時代と同じ位置に立っていたが、外のボールが気になる松井選手に対し、当時の監督のトーリ監督が、少し近づいてはどうか?とアドバイス。
松井秀喜氏もアドバイスを聞き、半ほホームベースに近づき、外の動くボールは捨てるという意識もあり、
徐々に対応できるようになり、見事に復調。
徐々にらしさをみられるようになり、6月には週間MVPを獲得するなど、ホームランも放つようになり、スター軍団のヤンキースでも存在感を発揮。
その活躍もあり、2003年のオールスターゲームにも出場。
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後半戦は苦しんだ動きボールへの対応を克服し、サヨナラホームランを放つなど、後半戦は絶好調。
ヤンキースの主軸としてリーグ優勝に貢献。
ポストシリーズでも大活躍し、ヤンキースをリーグ優勝に導き、
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出場したワールドシリーズでも敗戦したものの、日本人初の4番としてセンターにホームランを放って見せた。
メジャー1年目はメジャーリーグの独特のボールに苦しみ、辛い時期もあったが、
徐々に適応し後半戦は持ち味を魅せる活躍であった。
メジャーで1年目、まずまずの成績を残した。
2003年メジャーでのシーズン成績は
163試合 287 16本塁打 106打点。
前年の日本時代のような活躍はできなかったが、名門ヤンキースでの役割に徹し、チームバッティンをここがけ、見事チームのクラッチヒッターとして活躍。
そして全試合に出場し、苦しみながらヤンキースをワールドシリーズに導く活躍を見せた。
日本人初のメジャー30本塁打へ!!
メジャー2年目を迎えた松井秀喜氏は,
前年に苦しんだムービングボールへの対応に着手し、
メジャーでのさらなる成績をアップを狙い模索の日々。
2003年シーズンは日本時代のまま望んでいた打撃フォームを変更。
2003年まではグリップを低く構えるスタイルであったが、
2004年シーズンは、メジャー特有の動くボールに対応するため、最初からトップの位置に構えるスタイルに変更。
最初からトップの位置に置くことで、ボールをギリギリまで見極めるようにするため。
プルヒッターである松井選手は逆方向への強い打球を意識。
左打ちの松井氏は打撃で押し込むことができるようになるため.左手の感覚養うため左でキャッチボールを行うなどし、後ろての左に強化に努める。
その成果もあり、オープン戦から逆方向への力強い打球を見せるようになり、2004年は日本最高のバッターとしての真価が問われていたシーズン。
松井秀喜氏は結果で示すことになる。
2004年は日本で開幕戦。
開幕二戦目でライトスタンドに強烈なホームランを放ち、
2004年はメジャーの環境にも慣れ、明らかに2003年とは一味違う打撃を見せていた。
持ち味の長打力をメジャーでも発揮するようになり、
前半戦だけで17本ホームランを放ち、オールスターゲームにも選出。
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後半戦はさらなる猛打を見せ、打撃力はさらなる威力を見せていた。
課題でもあるムービングボールへの対応も克服、2004年開幕前に取り組んだ反対方向への強い打球も徐々に見せ始め、
2004年はメジャーでホームラン30本の王台を突破。
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2003年のほぼ倍増となるシーズン31本塁打。
そしてヤンキースの地区優勝に貢献。
ポストシリーズでも好調を維持。打率.412、3本塁打を放ち、松井秀喜氏はポストシリーズ7試合で、14安打を放ち、9得点、二塁打6本、塁打数28をマークし、
アメリカンリーグの優勝決定戦での記録を樹立するなど、大暴れ。
メジャー2年目は素晴らしい成績を残した。
2004年のメジャー成績、
162試合 打率.298 31本塁打 108打点 長打率.522
メジャー2年目は進化を見せるシーズン。
メジャー1年目の経験から日本とメジャーの投手の違いを掴み、適応して見せた。
前年には長打力があるのかと疑問しされていたが、見事結果で示し、メジャーの舞台で日本人長距離打者としての真価を魅せる素晴らしい成績を残した。
ポストシーズンでも素晴らしい活躍を見せ、
勝負強いバッターとして高い評価を受ける最高のシーズンであった。
そして、これから日本最高の強打者の本領を発揮してくれるのかと、
期待が高まっていたが、
待ち受けていたのは、
松井選手の現役生活を大きく左右する試練が待っていた・・・・。