高校時代はドラフト漏れ!?
秋山翔吾
日本を代表する安打製造機、
その実力は球界トップクラス。
今回は西武ライオンズ所属の秋山翔吾選手の高校時代をPICKUP!!
目次
秋山翔吾選手のWiki的プロフィール

名前 秋山省吾 (あきやま しょうご) Syogo Akiyama
出身地 神奈川県横須賀市
生年月日 1988年4月16日 (31歳)
身長 184cm
体重 85kg
ポジション 外野手
秋山翔吾 高校時代はどんな選手?? ドラフト漏れを経験

日本球界屈指のヒットメーカー
秋山翔吾
日本プロ野球記録シーズン最多安打記録保持者、
西武ライオンズに所属する日本を代表する好打者。
その華麗なバッティングは毎年のように精度をあげ、
今や、球界屈指の好打者への座に。
球界の頂点、最多安打記録を打ち立てるほどの実力を手にした秋山選手。
そんな日本を代表末うヒットメーカーは、高校時代はどんな選手だったのだろうか。
今回は秋山翔吾選手の高校時代の成績や活躍をPICKUP!!
ドラフト漏れを経験した高校時代

秋山翔吾選手は神奈川県横須賀出身。
中学時代に横浜県内シニアで活躍しながら、中学の陸上部に所属。
中学卒業後、横浜創学館高校へ進学。
高校1年生からレギュラーの座を獲得するなど、非凡な野球センスを見せていた秋山選手。
横浜創学館高校はこれまでの複数プロ野球選手を輩出している高校もあり、
秋山選手が入学する前年に秋季大会を優勝するなど、当時は神奈川県内でも勢いがあった高校であった。
しかし当時横浜創学館高校はグラウンドには照明もなく、練習時間も短いなど、限れた時間での練習する環境であった。
秋山選手はプロ野球選手を夢見ていた青年。
横浜創学館高校の限られた環境の中で、早朝と夜間の自主練を欠かさないなど、
どうやったらプロになれるかを考える日々を送っていた。
そんな練習の成果もあり、高校時代の秋山選手は徐々に頭角を現し、
全国的には無名ながらも神奈川県内でも実力の持った高校球児として徐々に存在感を発揮。
高校3年生の時にはプロが注目する選手に成長していた。
夢見ていたプロが近づくも・・・・

憧れのプロ野球選手を目指した高校3年間。
神奈川県内でも屈指の選手へなり、プロも注目した秋山選手。
夢見ていたプロが近づき、臨んだ高校3年生の夏であったが、足首を負傷し、しかも怪我は靭帯を損傷するほど重症。
しかし、そんな状況でもプレーしていた秋山選手であったが、
高校3年生の夏の大会は思うようなプレーができず、走攻守全てにおいて不調。
やはり重度の怪我により、活躍できず。チームもベスト8で敗戦。
高校時代の秋山選手は神奈川県内では屈指の実力を持ち、甲子園には出場経験はないものの、ドラフト候補に挙がるなどの選手であったが、
怪我により、パフォーマンスが上がらなったこともあり、
プロ入りを夢見ていたドラフト会議では指名漏れ・・・・。
夢見ていたプロの切符をつかむことができなかった。
しかし、高校時代、ドラフト指名漏れを経験し、
進学したことが秋山選手を一層成長させるきっかけに。
大学で開花した才能

ドラフトで指名されなかった秋山選手は,
横浜創学館高校の監督と親交があった八戸大学のコーチとの縁もあり、
青森県の八戸大学へ。
目標だったプロ野球選手にはなれず悔しい思いをした高校時代。
しかし秋山選手は八戸大学へ進学しても、そのプロへの想いは変わらず。
大学1年生からレギュラーの座をつかみ、春夏のベストナインに輝き、
大学4年時の春のリーグでは大暴れ。5割近い打率で首位打者と打点王に輝くなど、ベストナインや優秀選手賞、
そして日本大学野球選手権大会でプロ注目選手からホームランを放つなど、インパクトを残す活躍を続け、
大学日本代表候補に名が挙がるなど、大学球界屈指の選手へ。
プロの複数球団が注目する選手を成長。
2010年のドラフト会議で埼玉西武ライオンズからドラフト3位指名。
そして秋山選手はプロ入りの切符をつかんだ。
ドラフト漏れを経験し、大学球界でプレーの道へ進み、
見事プロ野球選手となれた秋山選手。

大学は強豪が集まる関東ではなく、八戸大学で自らの成長を求めた。
八戸大学は青森県に東北屈指の強豪大学であり、そして、自然豊かな環境。
冬になれば、雪が降るような厳しい環境下でも秋山選手が描いていたプロへの道を諦めず、高校時代以上に野球に打ち込む日々。
そして黙々と練習に明け暮れる日々が実り、プロへの切符をつかんだ。
幼き頃に父を亡くし、家族を想う気持ち、人一倍強い想いで覚悟を決めたプロへの道。
直向きに野球に打ち込み、人生の勝負をかけたからこそ、今の秋山選手がある。
プロ入り後秋山選手は1年目から開幕スタメンを勝ち取り、レギュラーを獲得。
そして2015年に打撃改造で一躍、大ブレーク。
日本プロ野球シーズン最多安打記録を更新するなど、
一躍、日本を代表する選手へ。
その卓越したバッティングは球界でもトップレベルに成長した。

偉大な存在、イチロー、青木宣親に次ぐヒットメーカーに次ぐ存在、
今や、球界屈指のヒットメーカーの地位を確立したと言ってもいい。
そして、柳田悠岐、山田哲人、坂本勇人、鈴木誠也といった現役プロ野球選手の中でもトップクラスの打撃レベルにある。
球界屈指の実力をもつ選手への仲間入りを果たした。
秋山選手が球界の頂点を極めたことができたのは、
高校時代から変わらない野球に対する直向きさ、
そして強い覚悟があったからこそ。
今の彼がいる。
それはこれからも変わらない。

強い信念があるからこそ、
彼はさらにうまくなる。
これからも直向きなまでに。
秋山翔吾選手に関するまとめ
いかがでしたでしょうか。
今や日本を代表する選手に成長した秋山翔吾選手。
高校時代のドラウト漏れという悔しさがあったからこそ、
諦めず、ストイックなまでに野球に取り組んだからこそ、
今の秋山選手があるのでしょう。
目標達成するために能力や才能ではなく、
強い覚悟が一番重要なのかもしれませんね。
今も変わらない野球で大成するんだという、
強い覚悟があるから、
秋山選手は球界を代表するヒットメーカになれたのでしょう。
本当に素晴らしい選手。これからもその活躍を期待したいですね。
