高校時代の成績やホームラン数は??
彼こそ、甲子園史上最強打者!!
清原和博
長き甲子園の歴史の中で、
最強打者として君臨する偉大な打者。
今回は清原和博氏の高校時代の成績、甲子園での活躍をPICKUP!!
目次
清原和博氏のWiki的プロフィール

名前 清原和博 (きよはら かずひろ)
出身地 大阪府岸和田市
生年月日 1967年8月18日(51歳)
身長 188cm
体重104kg
ポジション ファースト
清原和博 高校時代は甲子園史上最強!! 成績やホームラン数スゴすぎた
甲子園の申し子

高校時代は甲子園史上最強の打者として君臨。
清原和博
長い月日が経った今もなお、絶大なる存在感を発揮し、
彼こそ、高校野球史上最高の強打者。
間違いありません。
今や、伝説の存在。
今回は清原和博氏の甲子園史上最強打者の高校時代をPICKUPしていきましょう。
唯一無二の高校時代 それが清原という男。
甲子園の申し子

甲子園、いや高校野球史上最高打者だった清原和博氏。
そんな彼を振り返っていこう。
清原和博氏は大阪府出身。
高校野球のスター選手として、その後プロ野球界でのスターとして活躍するのだが、
やはり高校時代は別次元の存在であった高校時代。
清原氏はPL学園高校出身。
現在は部員の低下により、休部という形となっているが、
一昔前は高校野球の名門といえば、誰もが PLと答えるほど、
超がつくほどの野球の強豪校であった。
現在でいうところ、大阪桐蔭高校であろう。
そんな清原氏だが、中学時代からズバ抜けた野球センスを持った選手。

高校進学の際は野球の30校の強豪校から誘いがあるほどの選手。
清原氏はPL学園ではなく、元々は奈良県の平安高校への進学の予定であった。
入学を検討していた平安高校が部員が100人以上いる現状、一年生の時点ではボールすら触れない練習環境であること、
しかし、PL学園の練習を見たときに、一年生も上級生と練習ができること、
またPLの練習する選手を見たときに、
自分ならすぐに試合に出れると確信し、PL学園の進学を決める。
伝説のKKコンビ

清原氏はPL高校入学の時点では恵まれた体格とずば抜けた野球センスで、
ここから桑田真澄氏とともにKKコンビと呼ばれた最高の二人。
この二人は高校野球を語る上で外すことができない・・・・
それくらい最高最強。
高校野球史上最強のコンビが甲子園に5期に渡り出場し、甲子園を席巻する3年間。
まさに清原劇場

清原氏は高校1年生の夏の甲子園で4番に抜擢されるなど、
夏の甲子園では23打数7安打 打率.304 1本塁打 5打点と成績を残し、

1年生がら名門の4番としてPL学園の優勝に貢献。
翌年の新2年生となった選抜では甲子園準優勝、

17打数8安打 打率.471 3本塁打 8打点。
続く2年生の夏の甲子園では準優勝、

21打数10安打 打率.476 3本塁打 8打点、
3年生となった春の甲子園では、ベスト4、

打数14打数8安打 打率.357 1本塁打 1打点。
甲子園という高校野球の最高の舞台で輝きを放ち続ける清原氏。
高校野球のスーパースターとなった清原氏は、
さらに輝きを放った高校3年生の夏の甲子園大会。
豪快な打撃はこれまで以上に凄みを増し、猛打を連発。
チームを見事、優勝に導き、清原氏自身2度目の甲子園優勝。

85年の夏の甲子園では16打数10安打 打率.626 5本塁打 8打点をマーク。
強豪PLの中でも一際輝きを放つその姿は、まさに清原のための甲子園。
眩いばかりの輝きを放つ華麗で豪華なバッティング。
その勢いはとどまることを知らないほど驚異的。
その存在感は一人プロ野球選手がいるかの如く、
甲子園の独り占めする圧倒的なオーラに誰もが魅了。

伝説として語り継がれる甲子園史上最強打者。
清原氏は高校3年間で高校1年生から5季全て出場を果たし、
春夏合わせて優勝二回、準優勝二回、ベスト4一回、
甲子園での打者としての成績は、91打数40安打 打率.440 、
そして驚異の甲子園で13本のアーチを描いて魅せた。
高校野球史上最高傑作

そして甲子園で強烈なホームランを連発した清原氏は、
高校通算64本塁打を放つほどのスラッガー。
現在は日ハムの清宮幸太郎選手は高校通算111本塁打を放ちなど、高校野球界では清原氏よりもホームランを積み重ねた選手は数多くいるが、
清原氏が本数に関係ないと感じさせるほど。
高校時代の清原氏は、誰もが別格なものという認識をファンに与え、
やはり甲子園での13本のホームランを放ち、
高校時代の公式戦でのホームラン数は歴代1位の48本塁打を放っている。
高校通算本塁打数は練習試合も含めての数。
そんな中でも清原氏の高校通算64本塁打のうちの48本は公式戦で放っているという事実は64本の全体の4分の3以上。
2位は清宮幸太郎選手の28本、
そして3位は清原氏と同様のレジェンドスラッガー、松井秀喜氏の26本。
この突出した数字だけでも、いかに強烈な存在であったか。
まさに千両役者

他を寄せ付けない圧倒的存在感、そして大舞台での強さ、
誰もが注目する環境で真骨頂を発揮した千両役者ぶり・・・
清原和博氏がのみが持つ、本物のスラッガーの才能。
あの松井秀喜氏すらも凌駕するほど、驚異的な存在感を示した清原氏の高校時代。
清原氏は、高校野球史上最高傑作。
衝撃のルーキーイヤー

しかし、本当のすごさを発揮したのがここから。
プロ入りの際のいろいろあったが、西武ライオンズに入団した、プロ1年目。
1年目ながら、驚異のシーズン31本塁打。
多くのスター選手すらもプロ入りした際はプロのレベルに苦しむのが普通。
それは、どんなスター選手でも同じ。

しかし清原氏はそんなことは関係ないかのように、高校時代と変わらず猛打を連発。
しなやかで華麗なバッティングで豪快なアーチを連発する卓越した打撃技術。
清原氏は高校野球のみならず、
プロ野球の中でも最強傑作といえるほどの逸材であった。

まさに天才そのものであった。
その後、プロ生活22年間で525本塁打を積み重ねる偉大なスラッガーとして活躍。
プロの世界でも素晴らしい実績を積み重ねた偉大な選手。
しかし、やはり高校時代の強烈な存在。
今後、語り継がれる偉大なる伝説のスラッガー。

清原氏の私生活でいろいろ世間を騒がせたが、
その偉大さは変わらない。
それは最高の選手であったこと。
高校野球史上最強の打者・・・・・
そして、これからも伝説の存在であること。
清原和博氏に関するまとめ
いかがでしたでしょうか。
伝説のスラッガー、清原和博氏。
プロ野球史上最高の強打者の一人であり、
特に高校時代に魅せた存在感は別格。
清原氏の高校時代は唯一無二であり、
高校野球史上最高の強打者であった。
その功績は偉大。
これから清原氏のような、
高校野球史に名を残す天才的な選手はあるのだろうか。
それもまた楽しみだ。
それだけ、清原氏の高校時代は輝きを放っていた。
